昇給制度に最適化せずに労働者が賃金をあげるためにできること

概要

経済学から価格の決まり方を学んだので、それを労働者の賃金や市場価値をあげることに適応して考える。 エドガー・シャインの3つの問いで言われているWillCanMustの考え方も使い考察する。

今回は、社内の昇給ルールに最適化する方法は除外する。 これは、会社のルールから逆算して行動するくらいの行動しかできない上に、 多くの会社では早い段階で上限を迎えてしまうことが多いからである。

内容

労働者が賃金をあげるために必要なことは、「自分の労働価値をあげること」と、「自分の労働価値を賃金に反映させること」である。

自分の労働価値をあげる

自分の労働価値をあげるため経済学の考え方を適応する。 経済学的には商品の価格をあげるためには、需要に対して供給が追いついていないものを提供すればいい。 これは労働に置き換えても同じである。需要に対して供給が追いついていない仕事をすれば労働価値があがる。

市場価値をあげるためにできること ・需要があり他の人にできないことができる(他人がCanでないもの) ・需要があり他の人がやりたくないことをやる(他人がWillでないもの)

他人ができないことができると市場価値が高い。 また、その分野の第一人者であれば、安いから他の選択肢といったことが減って労働価値が上がりやすい。 しかし、他人ができないことをできるようになるためには、 他人ができないが自分が出来ることを見つける/できるようになるための投資が必要である。 また、こういったところでは、藤原さんの主張であるスキルを掛け算してオリジナリティを出すことで、 他の人ができないことができる状態を作れる。 掛け算をするにしても、掛け算の発生しやすい/しづらい知識やスキルがあるのも事実である。 こういったものに対しては、汎用的なものや抽象的なものが掛け算を発生させやすい。 例えば、科学的な理論であったり、プレゼンテーション、ロジカルシンキングなどのメタスキルなどである。

他人がやりたくないことといっても、必ずしも自分がやりたくないこととは限らない。 他人がやりたくなくて自分がやりたいことを見つけられると、労働価値があがる。 逆に、他人もやりたいし、自分もやりたい状態に陥ると安売り合戦が始まってしまう。 アニメーターや声優といったエンタメ系の仕事に関しては、そういった安売り合戦が発生し、本業だけで生きていくことが難しくなっている。 妥協すると、他人がやりたくないけど、自分は我慢できるものを見つけるのも労働価値があがる。 この考え方で仕事をしていると、「仕事はやりたくないことをやっているからお金をもらえている」と考える人が出てくる。 こういった哲学で考えていると、楽しいことを仕事にすることができなくなるし、楽しく仕事をしている人に嫌悪感を覚えることもあるようである。 また、他の人ができないことを自分ができることに気付けない場合は、選択肢が「他人がやりたくないことをやる」だけの仕事感になる。

自分の価値を賃金に反映させる

賃金をあげるには、労働価値をあげることと、賃上げの機会が必要である。 一般的な会社の昇給制度では、労働者が発揮する労働価値と、賃金が比例させることは難しい。 なぜなら、出来高制でない限り自分の価値が賃金と比例しないが、出来高制にすることは、 人事制度的には悪手とされていて積極的に導入されることが少ない。

また、マルクス経済学的に考えると、労働者に払う賃金は労働の再生産に必要な金額でああ。 次の日の労働に必要な休養をとる、栄養をつける、生活することが目的であれば、 他の人よりも2倍能力があったとしても、2倍の給与を渡さなくても同様に仕事ができる。

他にも、マルクス経済学で、単純労働から複雑労働の話が出てくる。 単純労働よりも、難しい複雑労働をする場合には、多くの賃金を払う。 それは、複雑労働をできるようになるためにはコストがかかっているからである。 しかし、これも会社に入ってしまうと社内の昇給制度の影響が大きく比例しづらくなる。

結局、組織に所属すると、組織の報酬制度の影響が大きくなってしまう。 経済学的な、需要と供給から分かる価値を自分に反映させるためには、 市場に身を投じて値段をつけてもらうしかない。

今後

考えたいことや問い

  • 労働者以外の選択肢での収入の差異とその他の条件の違い
  • この業界/この会社ではこのスキルを持っている人が貴重だなど、、小さい範囲での需給バランスに対しての考察
  • 自分で需要を作り出すことのための考察
  • また、労働価値をあげるためのリソースの投資戦略についてもファイナンス理論をつかって考察