トヨタ生産方式を読んで今の自分にあてはめて学んだこと

概要

過去に一度挫折してしまっていた、トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして : 大野 耐一 を読みました。 トヨタ生産方式は、トヨタの生産性の高さの背景にある考え方を時系列的に紹介したもので、改善する際のマインドの持ち方や、改善ポイントの見付け方を紹介しています。 生産工場での話だと考えずに、一段抽象的に捕えることで多くの学びを得られる本でした。 今回は、そこから学んだことを、ソフトウェア開発など普段の自分の考えていることから気になる部分の引用を元にしてまとめていきます。

内容

お気に入り

この本では素晴しい部分が多すぎて、気に入った箇所が特に多かった。 そのため、最初に特に気に入った部分についていくつか延べる

問題箇所の認識

ここでは生産現場の作業の内容を認識することがいかに大事であるかを、工数低減活動の進め方を通じて言及していきたい。  今の作業のやり方でライン稼働率もわりあいに高いし、不良率もそう問題にしなくてもよい範囲内に納まっているから、全体としては合格であろうなどと考えたら、とたんに進歩は止まる。自ら改善の芽をつみ取ってしまう。  どんな現場でも細かく観察すれば、ムダがあり、改善の余地は残されている。 現場作業を「認識」するということは、ただ漫然と作業現場を歩き、見て、知るということではない。その全体像をつかみ取り、かつ部分の役割と機能を把握することである。  「認識」とは私の好きな言葉である。その意味は非常に厳格なもの、対象物に対して積極的に迫り、本質をつかみ取る意味であると私は考えている。  現場作業を細かく観察すると、作業者の動きをムダと作業に分けることができる

「認識」することの意味について、経験から強く納得する。 「今の作業のやり方でライン稼働率もわりあいに高いし、不良率もそう問題にしなくてもよい範囲内に納まっているから、 全体としては合格であろう」と話す人には、これまで多く接っしてきた。毎回、なぜ不便に思わないかと疑問に思っていたので共感する。

改善案の質の向上

たとえば、一人の人間を減らすために、一〇万円の電気制御装置を取り付ける案があったとしよう。  これを実施して、おそらく一〇万円で一人減らせたら、トヨタ自工としては大いに得であったということになる。  しかし、よくよく検討してみたら、金をかけなくとも、作業手順を変えることで、一人ぐらいなら減らせることがわかったならば、一〇万円かける改善案は、むしろ失敗案といえるだろう

この発想は、まったく無かったのでチェックリストのように定期的に見直したい。 費用をかけて改善しても、費用をかけずに改善できる方法があったなら、費用をかけて改善するのは失敗案である。 自分達は、一度改善してメトリクスが良くなると安心しがちであるが、一度行なった改善活動に対しても、 再度本当にもっと良かったものは無かったのか考えることで、さらなる改善方法が見付かるし、 失敗案の改善をした反省もすることができる。 得に価値が大きいのは、ふりかえりのやり方自体をアップデートできるだろうと考える。

「選択問題」について、たとえば「人を減らす」という目的に対しては、方法としてはいくつも考えられるだろう。  自動機械を導入して人を減らす方法もあるし、作業組合せを変更して減らす方法もある。さらに、ロボットを導入してやらせることも考えられるだろう。  このように改善を進める場合、検討の過程では「一つの目的に対してその手段なり方法は非常に多い」のであるから、まず考えられる改善案を数多くあげ、それらを総合的に一つ一つじっくり検討して、最善の策を選ぶべきである。  十分の検討が行なわれないうちに改善を進めると、とかく金をかけ過ぎた、それだけに原価低減度の低い改善案になりがちである

振り返りの中でも 「一つの目的に対してその手段なり方法は非常に多い」

現場の作業を観察すること

作業の改善といっても、生産現場を熟知せずにはなにごともできない。生産現場に終日、立ちつくして見よ、そうしたら何をしなければならないかがおのずとわかるはずであると、私は繰り返しいってきた

ボトムアップなくして改善できないということであると思う。 これは、改善のファシリテーションをする場合にも、欠かせないものではないか。 また、改善活動をする際には、自分も現場をひたすら観察することも多い。 高い理想の状態が頭に入っている状態で、現場を見ることで改善に差分に気付きやすく、高い理想の状態が頭に入っていないと見付けられないものが見えるようになる。

その他

ところが、こまかくラインおよび作業者の動きを観察していると、つくり過ぎがあったり、手待ちがあったり、時間や日によってバラツキが見られる。これを改善して二人分の工数低減ができたとする。すなわち八人で一〇〇個の生産ができることは、二人を減らさなければ、一日一二五個の生産が可能で二五個分の能力増加のようにみえる。しかし、ほんとうは以前から一日に一二五個つくる能力はあったのである。ただ二五個分の能力は、不必要な作業やつくり過ぎのムダによって浪費されていたのである。

ソフトウェア開発では、バックエンドやフロントエンドを一方がどんどん作っていくことに似ている。 ソフトウェア開発では、在庫を保存する倉庫はいらないが、脳のリソースを使ってる。 一度作ったものを寝かせておくと、脳内にあった記憶は無くなってしまうため、 余分にドキュメント書かないといけないし、忘れるリスクもある。 これはソフトに限らない。知的労働は全部同じである。 倉庫のいらない知的産業でも、作りすぎの無駄は多きく影響しているようだ。

自分でやってみる

現場の人間は、標準作業を自らの手で書いてみなければならない。他人にわからせるには、まず自らが十分に納得できるものでなければならないからである。

標準作業において肝要なのは、効率的な生産を遂行するための諸条件を考慮して、物と機械と人の働きをもっとも有効に組み合わせることである。トヨタ自工では、この組合せの過程を「作業の組合せ」と呼び、この組合せの集約された結果を「標準作業」と考えている。

日本と西洋の良い所取りをする

本来、仕事というものとスポーツとは、共通点が非常に多い。日本古来の競技には、相撲にしろ、剣道にしろ、また柔道にしろ、個人競技が多い。競技といわず、「道を求め、窮める」意味をこめたところは日本的である。仕事の世界で職人という個人芸が重んじられたことと一致している。西洋文明が導入されるとともに、西洋流の団体競技のスポーツがとり入れられ、それについて、仕事の世界も近代工業化し、職人たちの個人芸よりも人間のグループの和、すなわちチーム・ワークが要請されてきた

日本の良いところ(窮める)と、西洋の良いところ(チームワーク)を取り入れるにはどうするのが良いかといった両面で問題に対して考えたい。 窮める部分と、他の人に任せる部分は、どう切り分けた方がトータルとして良いものになるのか。窮めることで発生するリスク・リターンと、 任せることで発生するリスク・リターンなどに分解して考えることが一つの切り口として大事なものではないか。

他の業界からヒントを見付ける

スーパーマーケットから得られたヒントとは、スーパーマーケットを生産ラインにおける前工程とみてはどうかということであった。顧客である後工程は、必要な商品(部品)を、必要なときに、必要な量だけ、スーパーマーケットに当たる前工程へ買いに行く。前工程は、すぐに後工程が引き取っていった分を補充する。こうしてやっていくと、私どもの大目標である「ジャスト・イン・タイム」に接近していけるのではないかと考え本社工場の機械工場内で昭和二十八年から、実地に応用してみた。

何度も頭の中で何かしら改善できないだろうかと考えることで見付けることができたのではないかと思う。(カラーバス効果) おそらく2段階くらいあり、普段から考えていることに自然に見付けることのできるレベルと、 意図的にヒントが無いか探して見付けることのできるレベル。 これは、普段どのくらいのリソースを使って題材について考えているかが影響していると思う。

自分は、エリックリースのように起業の仕組みに集中しているわけでなく、 振り返り、開発プロセス改善、キャリア、教育と分散している。 そのため、気付かずに通りすぎてしまう情報が発生しやすい。 時間をかけて○○に置き換えたらどういう意味になるだろうと考えるようにし、意図的に掴めるようにしたい。

ジャストインタイムをする事で一気に効率が良くなるってことは、その仕組み作りに時間を消費したとしても、ペイできるのではないだろうか。 ふりかえりのときに、ジャストインタイムになることで削減できそうな無駄についての観点で考えることで、改善箇所を認知しやすくなるのではないか。

つくり過ぎのムダの悪さ

このような現象をトヨタ生産方式では「つくり過ぎのムダ」と称して、もっとも悪性の敵とみなすとは、私がロがすっぱくなるほど言ってきたことであるが、ここでもう一つ付け加えたいことがある。それは、「つくり過ぎのムダ」というものはその他のムダを隠してしまうという意味で、もっとも根源的なムダであるということである。  工数低減活動を進める上でいちばん重要なことは、この「つくり過ぎのムダ」をなくすことであり、その対策を考えることである

つくり過ぎの無駄によって隠れてしまったムダに関しては、片っ端から「この作業をやらないとどうなるんだろう」と考えたり、 「なぜ、この作業をやらないといけないのか、この作業をせずに成果を出すためにはどうしたら良いのだろう」と考えることでムダに気付きやすくなるのではないか。 そのムダから作りすぎのムダを発見するサイクルを見付けられるのではないか。 頭の中にある理想の状態をアップデートしながらムダを見付けていく。

バラツキが生産性に与える影響

後工程が時期と量についてバラついた形で引き取ると、前工程はどうしても人と設備に余力をもたざるをえなくなる。それは非常に重い負担になる。  後工程が引き取る量のバラツキが大きければ大きいほど、前工程は余分の人と設備をかかえ込まざるをえなくなる。  そのうえ悪いことに、トヨタ生産方式は「かんばん」を通じて、トヨタ自工内の各生産工程ばかりか、外の協力企業群の生産工程とも、いわゆる同期化によってつながっているために、最終工程の生産のバラツキ、発注のバラツキは、前へ前へと悪影響を伝播させていってしまう。  このような悪循環を引き起こさせないためには、大もとのシャシー・メーカー、もっとはっきり言えば、いちばん最終の工程に当たるトヨタ自工の完成車組立ラインの生産の山をできるだけ崩して低くし、同時に谷を浅くして、流れの表面をおだやかにすることである。これをトヨタ生産方式では「生産の平準化」と呼んでいる

これは、複数の仕事を持っていて、締切に合せて他方の仕事をコントロールすることに影響があるのではないか。 たとえ、それぞれのメンバがスクラムチーム以外の部分で作業をするにしても、スクラムチームに使えるリソースは一定にしておいた方がバラツキが減り 前工程の人が余分に作っておかなくて済むようになる。

変動する状況に適応するための仕組み作り

市場の需要予測から生産計画を立てても、現実には数量が増減したり、品種が入れかわったりすることは日常茶飯事のことである。  このように常に変動して止まらない市場に対して生産ラインは、いつでも計画を変更して対応できることが最も望ましい。しかし、現実には情報システムが変更しにくかったり、現場の制約が強くてなかなか変更しにくいのが一般であろう

スクラムでいう2週間ごとにスプリントを計画して進めていくことで、サービスの不確実性だけではなく、需要の変化に対する対策も行なえる。 これは、キャリアに関しては、ここまで小さなスパンにする必要があるかどうかは分からないが、 スプリント期間を短かくすることで何のメリット/デメリットがあるか考える必要がある。 また、キャリア支援側からすると、キャリアを歩む人それぞれに応じて、異なる特性があることから、 それぞれの非支援者に応じたスパンを考えられるようにしたい。

計画通りに進める危険性

「微調整」という言葉は企業のトップにとっても、味わうべき内容を包みかくしてもっている。ものごとは決めたとおりになかなか動かないことは知っているが、世の中には、決めたとおりに動かしてはいけないことがわかっても、なお動かそうとする無茶な人がいる。「計画どおりにやるのがよいことだ」とか「計画変更は恥しいことだ」といういい方で、あらゆることに適応しようとする。先が完全に読み切れない以上、状況が変われば、やり方も変えていくのは当然であるし、また変化に対応できるよう現場の体質をつくり上げていくこと、自分自身の頭脳を柔軟に保つことこそ大切なことではないだろうか。  私自身、長らくトヨタ生産方式という、容易に他人に理解してもらえない仕事と取り組んできた。それを息長く続けてここまでもってこれた道程をふり返るとき、同様のことがいえると思う。まちがいはすぐに是正する、あせっては事をし損ずる、機の熟するのを待てといった合図が「かんばん」という運用の道具から具体的に出て、私どもの失敗と暴走を事前にチェックしてくれたこともたびたびであった

「計画どおりにやることがよいことだ」といった人に、今迄はあまり出会ったことが無かった。 計画通りに進めることの大本の目標は何なのか、 計画を変更することのメリット/デメリットと、計画と変更しないことのメリット/デメリットは何なのか、などをまとめ対応するようにしたい。

ムダが見え辛くなる理由

これまで述べてきた一次・二次のムダは、すべて直接労務費・間接労務費や、減価償却費、一般管理費のなかにはいり込み原価を高めていく。  このように考えてくると、ムダが原価を高める部分はけっして無視できないはずである。それどころか、一つ誤ると、ムダが売上げに対してほんの数パーセントにしかならない利益をすべて食いつくして、経営自体を危くする結果を招きかねない。トヨタ生産方式が原価低減を目的としているという考え方の底には、原価に対する以上のような認識があるからである

無駄が含まれる部分

(1) ムダ……何度も繰り返すが、作業をしていく上でなんら必要のないもの。したがって、すぐに省いていかなければならないものである。たとえば、手待ち、中間製品の積み重ね、運搬の二度手間、持ち替えなどである。   (2) 作業……これには二つある。第一が「付加価値のない作業」、第二が「付加価値を高める正味作業」である。

工数低減の考え方

工数低減とは、正味作業の比率を高めることである。一〇〇パーセント正味作業を理想としてこれに近づけることが、トヨタ生産方式をつくり上げてきた過程において私がもっとも意をつくしてきた点である

やってはいけない自動化とやるべき自働化の違い

自動車工場にもみられることだが、問題は、部分的な自動化、局部的な自動化である。あるいくつかの動作をともなう作業のうち、最終の品物を入れるところだけ、楽をするために自動装置にしたりする。もとのほうは相変わらず手でやる。私はこういった省力化は絶対にいかんといっている。ニンベンのついた「自働化」をとことんやってくれるなら結構だが、自分だけがもっと楽をしようとする類いのものでは、かえってコストがかかってしまうからである。

トヨタ生産方式でキーになっている「自働化」の説明である。 自働化は、少ない人数でも多くの機械を見れるようにするものである、局所的に自動化すると他の部分は人が対応するだけで人が減らない。

チームワークが発揮できるようにする

トヨタ生産方式においては、しばしば「離れ小島をつくるな」ということがいわれる。工場の機械群のなかにポツンポツンと作業員がいるのは、一見人間が少ないようにみえるが、一人にすると人間同士のチーム・ワークがとれない。一人だけの仕事があるなら、そういうのを五つ六つ集めて、チーム・ワークが発揮できるようにしろともいっている。そのような人間味のある環境をつくることによって、初めて「少人化」も本物になる

一人だけの仕事を集めて五つ六つにすることでチームワークが働くようにする。

しかし、これは現場において実施されていない、実施しようとしない状態を良く見かける。 一人だけの仕事のメリットも分かりやすく、1種類の仕事に集中できてオーバーヘッドが無くなることが分かる。 そのため、チームワークを無くす方向に進むことが多々見付けられる。 しかし、チームワークを重視することで知見のシェアもしやすく、チームとしての生産性の向上がしやすくなる。 トータルで考えないとチーム重視にすることが難しいが少人化に継がることも説明に追加することでチーム業務に変えたい。

訓練の重要性

私のいう「忍術の経営」とは訓練によって経営の術を身につけることを意味する。いまの時代は、あまりにも訓練ということを忘れていはしないかと訴えたいのである。  むろん、人間の創意を引き出すような刺激的な術でなければ、訓練のしがいもあるまいと思われるが、ここで冷静にこの世の中をみてみよう。十分な訓練もしないで、達成できる目標などは、どんな小さな目標でも、存在していないのではないか。  トヨタ生産方式は、アメリカ経営に魔術があるとするならば、日本的発想の、日本オリジナルの「忍術の経営」と称してもよいと私は考える

特に、「十分な訓練もしないで、達成できる目標などは、どんな小さな目標でも、存在していないのではないか。」の部分に共感した。 訓練することの重要性と、現状で熟そうとしている業務のバランスを考えたい。 学習や訓練に対して投資することで長期的に利益を得られるように考えたい。

名前に捕われずに本質を見る

ところで、このIEなるもの、定義がはなはだやっかいのようでIEが導入されたとき、トヨタ生産方式はME(メソッド・エンジリアリング)でIEではないと、指摘されたことがあるが、そんな定義にまどわされるのは賢明ではない。私自身は、すでに述べたとおり、「IEとは経営に直結する全社的な製造技術」という意味に受け取っている

何が本質が、名前に惑わされる必要はないというメッセージであろう。 ある意味、守破離から学ぶことに近いのではないだろうか。 一般的なやり方を体験して、学ぶべきポイントを学び、自分達の良い状態に持っていく。

難しいことの挑む気概

当然儲かる事業を当然な方法でやってゆくよりも、誰れも余りやらない又やり難い事業をものにして見る所に人生の面白味があるもので、出来なくて倒れたら自分の力が足りないのだ。潔ぎよく腹を切ったら良いではないか。出来る所までやって見よう、どうせやるなら世人の一番むずかしいと言う大衆乗用車を作って見ようと言う立場からやり掛ったのです。(中略

顧客の状況に合せて製品開発する

矢張り新しい物丈けに金を掛けて良くしなくてはなりませんが、値段はうんと安くしなくてはなりません。国産車を作って売らんとすれば其れ位の事は当然考えなくてはなりませんが、果して其の値段で売って将来採算が取れるかどうか、この点は製造者として最も考慮を要する点であります

顧客に合わせて状況を把握する。トヨタも顧客中心に考えてたんだ傾向がある。

新しいものを作る

その対象物を穴のあくほど凝視して、その本質を知りつくす。近所のお婆さんの手織機を終日、立ちつくして見続ける──。佐吉翁のイマジネーションの源泉であり、かつものごとを具体的に詰めていく姿勢である

何か重要なものを常に考えて、それに対してアイデアを考え続ける。 今はキャリアや意思決定と振り返りを凝視してる。 もうすこし起業や経営に向けても良いかもしれないが。

基礎となる学術を学ぶことの重要性

喜一郎氏は、自動車のような基礎産業を確立するには、それのベースになる学術の世界をがっちりと固めなければいけないと、機会あるごとにロにしていた。そのためには、いまでいう産学の協同も大いにしたいと強く望んでいた。なにごとも基礎を大切にした人であった

トヨタ生産方式は低成長時代に最適化されたもの

フォード式とトヨタ式のいずれが優位を占めるか。いずれも、日々新たに改善・改革をしているのであるから、早急な結論を出せる問題ではないが、私自身は当然、トヨタ式が低成長時代に合致したつくり方であると確信している

TOC的に言うとフォードは販売のところがボトルネックになってる。それを除けば、トヨタより勝ってる。そこを除いていいわけないけど。 フォードの人の哲学を見て思うけど、結局この本を読むのも、大事・肝なのはメソッドを得ることではなく、トヨタの生産哲学を知ることなんだよな。

標準を決めるべきは当事者

ヘンリー・フォード一世の考え方のなかに、標準とは上から与えられるものではないという強い信念が感じとれるが、それは相手が国であっても、企業トップであっても、工場長であっても、どのような上司であっても、要するに「標準」を設定する人間は、たとえば企業においては生産現場の当事者がせよ、そうでないと「進歩」のための標準にはなりえないことを強調している。同感である。もう少しフォードを読んでいこう

ボトムアップはやはり大事だし、現場がやってくれるから負担が減る。 小さいうちは自分たちが現場に近いところにいるからよい。採用の時はその辺まで任せられれ人をえらぶのだろうか。 標準化に動機を加味して考えても面白いのではないだろうか。動機を完了する。面白い。

予防する

そこで、トヨタ生産方式は「予防」というニーズを生産現場の全工程に浸透させることになった。機械の故障を前提として在庫をもつとするなら、なぜそれ以前に、機械の故障を未然に防ぐことを考えないのか

外から得たものを自分たちに最適化する

「市場の多様化」に応じたワイド・バリエーションによって、価格政策の妙を盛んに発揮しだすのはこのころであるが、生産現場では、私からみると、未完成のままのフォード・システムがその時期に根深く定着していったように思われる。  私はトヨタ生産方式をつくり上げる過程で、多種少量という日本の市場特性をいつも頭に置き、少種大量というアメリカの市場特性とは違うのであるから、日本の生産方式を生み出さなければならないと考えてきた

常に疑問を持つ

私はフォードの着目した「綿布はここで使用できる最良の材料なのだろうか」というところに興味をひかれる。  なにごとでもそうだが、人間はフォードの指摘するとおり、長い間のしきたりで動いてしまう。それは個人生活の場では許されるかもしれぬが、工業の場にある企業のなかでは悪いしきたりは排除していかなければならな

過去にあった認識のところにも関係してくるし 良い状態で進むためのフレームワークをしったり、もっといい環境を知ることで疑問に感じやすくなる。 もちろん、全てに対して考えてもよい。全てに関して考えるなら、費用の大きいものや、費用対効果の悪いものではないか。 局所最適しないように、一度考えてみるのはよいと思う。 組織外の人に意見をもらっても常識が違うので疑問に思いやすいのではないか。

バランスを取る

今日、生活にバランスが欠けており、またこれまでも、ずっとそうであったということは、否定できない。最近になるまで、たいていの人々は暇がなく、またあっても、それをいかに利用すべきかを知らなかった。われわれにとって重大な問題の一つは、仕事と娯楽、睡眠と食事のバランスをとることであり、つきつめると人間と病気と死についての原因を究明することである

どちらかに偏ると良くない

リソースとアウトプットを比例させる

これでは変化に対応できる現場づくりの大きな障害となる。したがって、トヨタ方式がつぎに取り組んだのは定員制の打破であった。これが「少人化」と呼ばれる考え方である。  この考え方は機械だけでなく、人が作業している生産ラインにも適用されている。すなわち、五人のラインで一人休んだら、四人でもつくれるようにしておく。ただし、量は八割になる。このためには、レイアウト・作業訓練(多能工化)、設備の制約の改善など、数多くの改善の積み重ねが平生から行なわれていなければならない

かけるリソースとアウトプットが比例するようにしておくと調整できていい。 かなり頑張ったり一定のところから急に良くなる仕組みでない方が、あとあと便利ってことか。 本業と副業の関係でも同じように考えられそうである。

量を減らして生産性を上げる

「量がふえることによって生産性や能率を上げることのできる人間は、世界中に何十人、何百人おるだろう。トヨタにもそういう職長はいくらでもおる。ところが、量が減ってもなおかつ生産性をあげることのできる人間は、世界中にそうおらんだろう。これができる人間が一人でも多くおれば、その企業の体質はそれだけ強くなるんだ」と

上級者向けの話だとは思うが、ここを目指していきたい。

まとめ

自分の立場を変えて何度も読むことで多くのことを得られる本であると思う。 エリックリースがリーンスタートアップを見付けたように、自分の関心事の場合は、このムダとは何にあたるのだろうかと考えながら読む。 得に、事前に頭のモードを関心事にしておくとよい。 自分の立場としては、ソフトウェア開発プロセス改善(スクラムマスター)、キャリア、起業など、それぞれとして読み返したい本であった。

過去には、1度おもしろく感じることができず、途中で中断してしまった。 しかし、今回は面白すぎて、続けて2週目を読んでしまった。自分の成長に応じて得られるものが変わったのだと感じることができておもしろかった。

知的産業おけるジャストインタイムでないこと、がどんな現状構造ツリーでになるか、書いてみたい。