正しくないアドバイスが頑張る人を減らすことについて考えた
概要
卓球を始めてからというもの、多くの方々から卓球の試合のアドバイスをもらうことがあった。 この歳になり、多くの分野でアドバイスを貰っていることから、アドバイスの質に大きな差を感じた。
そこで、思考実験のように仮設の上に仮説を重ねながら考察する。
内容
良くないアドバイスとその影響
アドバイスとして、特によくないものとしては、以下のようなものがあった。
・間違えたアドバイスをしている(科学でなく本人だけが正しいと思う法則) ・対象の意思を汲まないアドバイスをしている
間違えたものは、かける労力が結果に結びつかないため、やればできるという思考を減らしてしまうかもしれない。卓球は向いてないのがしれない、運動は向いてないのかもしれないなど感じられるだろう。他の自信を持てるものがなければ、自己否定に繋がるであろう。
意思を汲まないものは、結局のところゴール設定を間違えている状態に近づくため、こちらも本人が望んだ結果に近づけず間違えたアドバイスと対して差がないだろう。
純粋な若者は、これらのアドバイスで振り回されてしまうし、自己肯定を失うきっかけにもなるだろう。
運動の分野とアドバイス
特に、運動の界隈は、頭で理解するよりも体で覚えることが重視されすぎているように思う。その結果、指導者が頭で理解して教えることができる人が少なくなり、頭で考え理解することを重視したい人が運動を続けづらい環境ができてしまっているように思う。
成功率が少なくとも、生き残った人がそれなりの結果を出していれば、もっと大きな結果を出せる未来があったことは分からない。その上、その方式での指導によって生き残りやすいのは、考えない人であろう。
頭で理解してない場合、応用が利かなくなり、複数の人から異なるアドバイスを貰った時にどれに従えば良いのかわからない、スキルに対する投資計画が正しく立てられない、などの状況に陥ってしまう。
うまく両立している指導者も稀にいて、こういった人が進学校の部活で量より質を優先して成功に導いているのではないかと妄想している。
自分の上達について考える
自分の上達に関しては、上達するプロセスを楽しめるきっかけがあったかどうかが大きい。
どいういう事かというと、卓球をプレイするのが楽しいと感じるだけではなく、卓球を上達することに楽しみを感じているかどうかである。 プレイを楽しむだけなら基礎トレやフットワーク練習をやらなくてよいが、上達する上では必須である。その場合に、基礎トレやフットワーク練習をやることを楽しめるかどうかである。もちろん楽しめない人もいて、何の分野でもやってることが楽しいということであまり上達しない人も多い。
といいつつ、上達を楽しむためには、上達に対する成功体験が必要ではないだろうか。
その場合、運(家庭環境や資本力含む)良く良い指導者に巡り合った、運(家庭の文化レベル含む)良く考える力を身につけられたなどが大きく影響すると思う。
思い
自分は、運良く身につけられた人以外にもチャンスを増やすきっかけになる趣味の上達支援をやりたく感じる。 もちろん、そこから自己肯定感が高まり仕事を楽しんでもらいたいとおもっているが。