良かれと思ってやったことが裏目に出ないためのコミュニケーション

人はそれぞれ物事を考えるときに自然に使う枠組みが違うから、良かれと思ってやったことが裏目に出てしまうことがある。 例えば、以下のようなケースで喜ぶどころかモチベーションが下がってしまうなど。

  • 開発プロセスに興味があると言ったから、エクセルでの進捗管理を任せた
  • 将来的に管理職を目指していると言ったら、ソフトウェアの発注管理の業務を任せた

それを少しでも避けるために、対策を考えてみた。

原因:どうして、こんな事が起こるのか

開発プロセスに興味があると言った人は、スクラムウォーターフォールなどのプロセス策定や導入に興味があると思って話したつもりだった。しかし、上司のなかの開発プロセスというと、進捗管理のイメージが強かったため、こうなった。 など、言語が同じでも、そこから想起されるものが異なると、こういった事になりやすい。

部下が用語のイメージを間違えていることもあるし、上司が間違えていることもある。

対策:そのために何をしたらいいのか

  • 言語のイメージを聞いてみる
  • 最後に相手に決めさせる

まず大事なのは相手の言語化に対するイメージを聞いてみることである。 同じ言葉を使われていても、指すものがぜんぜん違う場合には、聞いてみるしか無い。 例えば、こういう仕事を任せるのだとどう?と聞いてみると、合っているか違っているかの反応をもらえて認識合わせがしやすい。

もう一つは、最終決定を相手にさせるということである。 「前に話していたやりたいことに近い内容だと、こんな案件があるけどどうかな?」というふうに聞くことで、自分で決めた気持ちも引き出すことができる。 認識ズレが起こりづらくなる上に、自分で決めることでモチベーションにつながる。

裏狙い

良かれと思って行動したときに「部下が悪い」と結論付けると、今後部下に対して良かれと行動しなくなるのではないかと考えた。 そこで、この記事を読むことで部下に問題があると考えるのではなく、二人の言語に対するイメージが違っていたのかも、と考える切っ掛けになればと思い、書きました。

あとがき

心理学の原因帰属って、自分か課題で分類している。しかし、対人関係の場合は自分と相手という分類をすればいいのだろうか。このへんは探求したい。

安易に「私は向いてない」と思わせないメンターの励まし方のアイデア

向いてないと考えることは、悪いことではない。向いてないことを早く諦めて向いてる事にリソースを導入するのは、効率よく仕事をするために必要だろう。

しかし、物事は初期段階と習熟してからでは必要になる能力や資質が違うから成果を発揮できない、やり方を知らない、似た経験が無いなどなど、将来的に成果を発揮し得る人が最初は成果を出せないことも多い。

その時、「向いてない」と考えてしまう現象を心理学の分野では、原因帰属の理論で説明されている。 人は原因を考えるとき、その原因が自分にあるのかどうか、変わりうるものなのかどうかの二軸に分類できる。このとき、自分にあって、変わるものだと思わせられると、向いていないと考えるのを回避できる。

原因が自分にあって変わらないものだと、「才能がない、向いていない」 原因が自分にあって変わるもの「やらなかったからだ、やり方が悪かったんだ」 原因が自分になく変わらない「アサインがよくなかったんだ、こんな行動をする後輩が悪いんだ」 原因が自分になく変わる「たまたまよくない案件に当たってしまったんだ」

解決策としては、いくつかある。

原因帰属にたいしては、原因が自分にあって変えられるものを考えるようにする質問をする。 やり方をどう変えたらうまくいくと思うか。なんの知識や技能が身についたら出来るようになると思うか。など、問うてみるとよいのではないか。

特に、教育関係の仕事においては、よく後輩や受講生など指導対象を原因としてあげることが多いので、そう行った場合は、そのために何かできる事は?など、自分の行動を変えるように促すことができるのではないだろうか。

他には、向いている・向いてないの比較対象や比較軸を変えるなどもあるだろう。他の人ができているかいないかでなく、自分の中ではどうか、別の観点で見ると優れているなどもよいのではないか。

現場に行動指針を浸透させるために考えたこと

行動指針を現場で意識させたいと思うことは、ないだろうか。 何かしら仕事で使うことが増えてきたので、こちらで検討してみる。 今回は科学的に裏付けされた網羅的な状態ではなく、知っている知識でうまくいかないと状態を解釈していく。

今回は、「意識させたい」ということから、必要な場面で意識的に考慮できることを目標として考える。

やろうと思っていない。(動機付けされていない状態)

これは、もっとも最初に立ちはだかるかなり大きな問題ではないだろうか。 やろうと思う

方法としては、大きく分けて2つ。

  • 行動指針を意識すること自体が楽しいと思わせる(内発的動機づけ)
  • 行動指針を意識することが自分とって得だと思わせる(外発的動機づけ)

とはいえ、人によって楽しいと思うこと、得だと思うことは違うため、 全員をそちらへ動かすのであれば、現場のマネージャーにお願いして、動機づけしてもらう必要があるだろうし、 全員ではなく組織内の多くの人間を動かせればいいのであれば、

楽しいと思わせる

こちらは、言うまでもなく感じている人もいるかもしれない。そう、とても初期コストが大きい。

楽しいと思わせる(内発的動機を促す)ためには、自分で決めたと思わせたり(自己決定)、 自分はできると思わせたり(有能感)、他の人に受け入れられると思わせる(他者需要)必要がある。

行動指針に使うのであれば、発表する前に細工をして、自分たちで決めたと思わせたりするのは有効だろう。 事前に、何かしらのインプットをして、望んだアイデアが出てくるように仕向ける必要も出てくるだろう。

うまく行動指針に沿っているときに、フィードバックを送り、できるようになったと感じさせるのもあるだろう。

他には、行動指針に従っていることが、他の人に認められる・受け入れられるきっかけになるのも良いだろう。 行動指針にそっていた行動を評価して、表彰のような形になるだろうか。

得だと思わせる

こちらは、楽しいと思わせるのに比べて初期コストは小さいのではないか。 アメとムチを使うのである。 一番簡単に思い浮かぶのは、お金などの報酬や、減給・降格などの罰を与える行動である。

これは、短期的に非常に大きな効果を発揮するが、だんだん効果が鈍化してしまう。 得だと思わせるには、今すぐに起きるお金なども効果的だが、 将来的に自分のためになると思わせるのも良い。

行動指針に沿った行動を取ることで、人格者になれたり、スキルアップするといったものである。 お金ほど簡単ではないかもしれないが、楽しいと思わせるよりは容易かもしれない。 検討するのも良いだろう。

覚えていない(メタ認知/媒介欠如)

必要な場面まで覚えていないと、活用することは間違いなくできない。 覚えさせるためには、昔の学校教育のように、何度も発声したり、書いたりすることも一案である。 他にも、覚えることをテーマに対話するのも良いだろう。

使う場面に気づけない(メタ認知

活用の仕方がわかってないということにもなるかもしれないが、行動指針を使う場に気づけないのも一因である。 毎日のように、朝に行動指針を唱和していたとしても、使える場面が分からなければ効果半減である。 どんな場面なら使えるか、など記憶を呼び戻すキーとなる現象を理解しておく必要がある。

朝礼で行動指針を唱和しているから、朝礼になれば8つの行動指針を言えるなどでは、 朝礼が記憶を呼び戻すキーになっていて、現場に出たら使えない。 現場で使う場面をキーにしておくのが良いだろう。

会議の行動など具体的に落とし込めるものについては、その時間にリマインドするなどして 記憶を呼び戻すことも可能だろう。

おわりに

と、いくつかの方法を列挙してみました。 個人的には、みんなで使わせたいことをテーマに対話するのは、やはり有効そうだなぁと思います。

試してみて、また考察してみたい。

この分野は、おそらく転移で調べてみるのが一番良いのではないかと考えている。

自己肯定感の研究についての調査

自己肯定感に関する調査として簡単に調べた結果をまとめる。

社会心理学では、自己肯定感が低くなる要因分析や、自己肯定感の計測に注力されていた。臨床心理学や精神医学では、自己肯定感の向上のための治療法?が考えられている。

要因については、親との関係や友人関係などの関係要因を調べている研究と、家庭の経済など環境要因を調べている研究があった。

自己肯定感の測定に関しては、下位の因子を見つけていた。たとえば、吉森,大学生版自己肯定感尺度の作成 ─ カウンセリングの立場を重視して ─,2015では、「存在の肯定」「安定した自己」「自信」「需要」などを挙げている。この要因と因子をまとめる事で価値ある尺度の一覧ができる。 1990年の平石先生の「青年期における自己意識の発達に関する研究 (I) : 自己肯定性次元と自己安定性次元の検討」が多くの論文で参照されていた。

自己肯定感をあげるというより、不要に下げている部分の軽減として認知行動療法などが対策としてあげられているのではないか。 事実を変えずとも、認知を変える事でもっとも容易に治療が行える。 患者に対して他者からの需要などの、重要な要因を向上する何かの行動を促す動機付けでも効果があるだろう。しかし、本人が受け入れられないことを考えると、認知を変えることは必須になってくるのではないだろうか。

責任範囲と感謝に対して考えてみる

自分が開発をして障害が発生していたので修正したことがある。 運良く上司と連絡が取れて、相談しながら対応することができた。 そのとき、自分は上司に対して感謝の気持ちを持ってお礼を言っていたし、上司は自分に対してお礼を言っていた。 ここから、お互いに相互に感謝していたと考える。

お互いに感謝する状態とは、理想的だがどんな条件で発生するのだろうか。

他にも、お互い感謝している状態でいうと、こんな場合が考えられる。夫婦、スポーツの選手と監督、発注者と受注者。 しかし、同じことをしているように見えても、感謝する人と感謝しない人がいることも経験からおかしくない。

そこで、今回は感謝を感じるメカニズムについて自分なりに仮説を考える。

開発において、上司と相互に感謝していたことに関して考える。そのときの上司には、トレードオフの判断を仰いだことと、上司から気持ちを考えた声かけを受けた。 自分は、開発をしていたのは自分であるから障害は自分の責任だと考えた。だから、自分が1人で対応するのが当たり前のところを相談したり、声かけをもらえたと感じた。自分の責任範囲でやらないといけないと思っていたことを手伝ってもらえた、と感じたのではないかと考えた。(感じたのではないか、といのは、自分で変につじつまを合わせるための感情を持ったのではないかとも考えて、念のため)

勝手な推測だが、上司からすると部下の責任範囲も対応がなければ、自分が対応しないといけないと考えると、部下の責任範囲は上司の責任範囲に含まれる。そこで、部下が対応することで、自分の責任範囲のことを手伝ってもらえたと感じるのではないだろうか。

責任範囲で考えたとき、部下の責任範囲は部下がやって当たり前だと考えている人からすると感謝は生まれないのではないか。

自分の責任範囲のことをやってくれたと思うと、感謝を感じるのだろうか。 であれば、責任範囲が重なると、協力してこなすと相互に感謝になるのだろうか。

ここでいう、責任範囲とは、何かに対する当たり前の担当範囲と考える。 当たり前と感じる心理的な要因や、当たり前の基準の変化についても調べてみたい。

仕事で新たな挑戦をするときの不確実性について考える。

仕事でこれまでと違う職種に挑戦することがあるが、未経験分野に飛び込むことは入社後のギャップに悩まされることも多い。

そのため、不確実性について、どんなところがギャップになりやすいか自分の

これまでの自分経験だと、過去の記事に「プログラミング」を適職だと考えて勘違いしていたことが挙げられる。 俯瞰して考えると、これは楽しいと思ってやったことに不満を感じたことで因果関係を明らかにしている。

この後、自分は「開発プロセス」のドメインの仕事が好きである。それをやると楽しく働けるという仮説を持っていて、その後二つの仕事をすることになった。

好んでいる開発プロセスに関わらせてくれるとの事で、仕事をした。しかし、オーダーが工夫をせずに早く言われたことを仕上げることを希望されたので、楽しく働くことはできなかった。

逆に、未経験で興味があった分野でもない採用についての意見を聞かれた時、心理学的な知見に沿って相手のトレードオフを促進できた。

ここから、ドメインよりもある程度自分の裁量を持って、どう進めるかを考えることに興味があるのではないかと考えている。

たまたまチャンスがあった二つの仕事だが、自分で仮説を持っていたため、検証できた。

これは転職せずに仮説を検証しているため、違った時の深刻さは、そこまで大きくなかった。しかし、他の人に話を聞くと、自分では想定していなかったギャップは多く存在する。

たとえば、プログラミングが好きだと思ってたら少人数の精鋭チームとして開発するのが好きで、大規模組織だと魅力を感じないのように。

これは、最近見た秘書問題に近い考え方をするのも良いかもしれない。

プロフェッショナル仕事の流儀をみて学んだ投資的な思考

アマゾンプライムで配信されているいくつかのプロフェッショナル仕事の流儀の動画をみて、何人かの成功者が投資していることが確認できた。 人により、さまざまな投資の形があるが、細かい考察はせずに紹介していく。

石井 裕  コンピュータ研究者 出過ぎた杭は誰にも打てない

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石井さんは、仕事で思うような研究ができなかった。そこで、会社員をしながら、友人と研究をしていた。 数年後、発表した研究の内容が認められて、研究関係のオファーもらって、研究を仕事でできるようになり、のちには頂点とも言えるMITで研究できるようになった。

山口千尋  靴職人 挑み続ける者だけが、頂に立つ

https://www.amazon.co.jp/dp/B00GUMZ5DO

山口さんは靴を作る仕事をしていたが、本場のイタリアで技術を学ぶべく修行しに行った。イタリアでは技術を身につけ、日本人初の靴職人の認定を受ける。 しかし、日本に帰ってきても、日本の市場は大量生産で安く作ることばかりで、どこの業者も相手にしてくれなかった。そのため、自分で展示をして靴を売る場所を作った。そこにきてくれたお客さんが、気に入りそこからお客さんが増えてた。のちに、自分の靴の会社を作り、高級な靴を販売する人気店になる。

仕古野隆雄  農家 失敗の数だけ、人生は楽しい

https://www.amazon.co.jp/dp/B00GUMZ534

仕古野さんは、無農薬農法を目指して何年もいろいろな方法を試す。 しかし、それらは上手くいかず、収穫量が確保できないため、生活も危うい状態になっていた。それでも、無農薬農法を求めて色々な手法を探しては試すの繰り返しをしていた。 ある時、他の県で合鴨農法を取り入れているのを知り、自分でも導入。野犬やカラスにカモたちが狙われるたびに対策をして、工夫を繰り返し、生産的に米を作ることができるようになった。 のちに、多くの研究者が訪れる先端の手法を使った農法になり、スイスの財団から、世界で最も傑出した社会起業家の1人として認められる。