登壇で事例や経験を話すときに自分の都合がいい様に解釈を変えていることを考えた

登壇で事例や経験は最も求められる話の1つであろう。 しかし、最近は、心理学的な登壇ばっかりをしており、自分の事例を話すことは心理学のネタを話すときの例示程度にとどまっていた。 そこで、今回は事例中心の発表の登壇について考えたメモを残す。

事例や経験の登壇で話すネタとしては、経験の中で学んだ知識や経験の話をする場合と、 知識や経験を得たらうまく行かなかったことがうまくいった話をする場合があるのではないか。

前者は経験を通して学んだこと、後者は学んだことを経験の中で活かせたこと。

自分は、経験を通して学んだことはサンプル数1の偶然の可能性が高いと思い、後者を話すことが多い。 しかし、後者の学んだことを活かした経験を話そうとすると、経験が間違えて記憶されていることに気づいた。 多くの事例が学んだことでうまくいっているように記憶していたが、その経験を詳細に振り返ると、違う理由でうまくいっていたりした。 今回は、経験ごとに詳細に物事を思い出し、因果関係を洗い出したから発覚した。

実は、これは過去に事例を書こうとしたときにも発生したことである。 勉強会のコミュニティに助けてもらった印象が強く、そのおかげでスクラムができるようになったと自分では記憶していた。 しかし、その時期の会社での出来事を事細かに列挙していくと、コミュニティの人に助けて貰う前に、会社の支援者の方にずいぶん助けてもらっていた。コミュニティに支えられて勉強したわけではなく、勉強するたびに会社の支援部隊の人に報告に行き、受け入れてもらえ、内省を促す問をもらい、そうやってどんどん勉強するうちに、スクラムアジャイルにハマった。 その結果、よく勉強していた自分が、コミュニティで受け入れられたという構図であった。

ここからの教訓としては、何かのおかげで上手くいったと思う経験がある場合は、そう思うことにつながった事例を洗い出す。 できれば、時系列で覚えている限り、記録があれば記録を見ながら列挙してみると良い。 自分は、そうやって気づくことができている。 登壇になると、経験の棚卸しをするので、上手くいくが人に話すだけのものは、おそらく多くを間違えて記憶しているかもしれない。 自分の都合のいいように記憶を改ざんしないように、それに気づけるように時系列でわかる情報は残しておきたい。