勉強に対するモチベーションと代替物

モチベーションの強い弱いは、相対的に考える事で、更なる発展があるのではないかと検討してみる。

途上国の子供に関する話で、途上国の子供は学校に言って勉強したいのに、勉強できないんだよ。日本と違う貧しい人々を救おうという話を見ることがある。

これを動機づけの観点から考えたい。

日本の子供は、勉強したいという気持ちは、途上国の子供よりも、少ないのだろうか。 今回は、前提を小学生と考えて深めたい。

途上国の子供は、学校に行きたいのに行けないという。 では、学校にいかない代わりに何をしているのか。 仕事をしてお金を稼いだり、家事や、兄弟の世話などをやっているようだろう。

内発的動機づけと、外発的動機づけの観点から考えたい。

普段行っている仕事や、家事などに比べると、学校に行くほうが自分のためになると考えているとすると、外発的動機づけが働いている。(特に、有機的統合理論の同一化的調整だろう) 計算や読み書きができる方が、良い仕事に従事することができるようになることを子供は理解している場合に発生する。 また、仕事に関しては、働くと日払いでお金になったり、仕入れて売ったらその場でお金になるなどを経験すると、外発的動機づけが働く。このとき、自分のために自分で考えて行動していると思えば問題ないが、他の人からご褒美で釣ってコントロールされていると感じれば、アンダーマイニング効果が発生して、仕事に関する内発的動機づけは低下する。結果として、どんどん楽しいという気持ちが減少する。

また、内発的動機づけは、あることに対して強制され気持ちが抑制させるほうが、別の対象について強くなる傾向にある。そのため、学校に行けない状態が、学校に行って学ぶことへの内発的動機づけを高めることが考えられる。 また、家族から、学校に行くよりも仕事や家事をすることを求められれば、心理的リアクタンスが発生して、家事よりも別のことをしたいと感じるだろう。

それでは、日本の子供について考えてみるとどうだろう。

日本の子供は、時間があれば遊んでいるだろう。 勉強の代わりにやる事が、遊びなのであれば、遊びになびきやすいのではないだろうか。

というところから、日本の子供にも、勉強しない場合はバイトをしたり、家事をするように言ってみたら、勉強したくなるのではなかろうか。

と、最後の部分は自分の体験をもとに検討してみた。