教養としての認知科学 第5章まとめ

教養としての認知科学を読んだので、興味深かった5章をまとめる。

第5章では、思考のベーシックスということで、人間の思考と、バイアスについて扱う。

思考

思考には、推論、問題解決、意思決定がある。

推論

推論は、演繹、帰納、仮説推論の3つに分類される。

演繹は、与えられた前提条件から、推論する。 「人は、死ぬ」と「ソクラテスは、人である」から、「ソクラテスは死ぬ」など、論理から論理を導き出す。 また、「ソクラテスが死ななければ、ソクラテスは人ではない」のようなものも当てはまる。 論理的に正しいのもの扱うことになるので、命題論理でいう、命題と対偶が該当する。

帰納は、複数の条件から元になる法則を導き出す。 「東北出身のスズキは暑がりだ」「東北出身のタナカは暑がりだ」から、「東北出身者は、暑がりだ」のようになる。

仮説推論は、論理でいうと逆にあたるもので、論理的に必ずしもただしいと言えないものを導き出きだす。 雨が降ったら地面が濡れる。という情報から、地面が濡れていたら雨が降ったのだろうとすることである。

問題解決


問題解決は、現状を理想の状態へ移行するために考える思考である。 
ハノイの塔の問題で、初期状態から、完了状態に移行させるためにどうするかという思考である。 しかし、同じメカニズムの問題を文章題にすると、8倍程度の時間を要するようになる。 問題解決の思考では、問題をどう捉えるかの問題理解によって、大きく過程や結果が異なってくる。

問題解決では、思考過程を言葉にしながら話す発話プロトコル法を使うことが有用である。 しかし、内省や振り返りなどの思考時には向かないとされている。

また、数学の合同の問題では、どう解くかをなんとなく理解する事が多いだろう。 これは、ヒューリスティックスという。 一定のアルゴリズムを用いて解くというより、経験や勘として、答えられるようにすることをヒューリスティックスとしている。

意思決定

意思決定は、複数の選択肢の中から1つの選択肢を選ぶことである。 昼食を、ラーメンにするか、とんかつにするか、という問題も意思決定であるし、物件Aに住むか、Bに住むかというのもそうである。 もちろん、一概にAの方が良いとは言えない。駅から近い方は家賃が高いなど、複数の軸で比較することとなる。 理想を言えば、複数の選択肢の特徴を列挙して、重回帰分析をして属性ごとの重要度を決めて決定するのが良いだろうが、それには時間がかかる。

そこで、ヒューリスティックスという方法がある。この方法は、大幅に時間と労力を節約してくれる。 ヒューリスティックスには、2つの方法がある。1つは、最後に行った意思決定でつかって上手くいった属性をつかって選ぶ直近ヒューリスティックスである。もう1つは、一番大事だと思う属性を選んで、その優劣によって決める最良選択ヒューリスティックスである。最良選択ヒューリスティックは、属性の評価が同程度なら、次に大事だと思う要素を、という具合に繰り返す。

バイアス

人々は、論理性や合理性からかけ離れた思考をする。 その要因となっているのは、思考のクセであるバイアスである。

バイアスは、複数あり、推論、問題解決、意思決定の全てに影響する。

ウェイソンの選択問題(4枚カード問題)を使っても、演繹を使って人間が問題を解けないことがあることがわかるだろう。

平均収束バイアス:1回1回の施行毎に独立なサイコロでも、3回連続で出たら次は出ないんじゃないかと感じる。平均に収束するように思う。

利用可能性ヒューリスティックス:思い出しやすいものが重要な情報だと感じる。思い出しやすいものは、何度も出会っている可能性が高いからである。これは、メディアが珍しいものを取り上げることで歪んでしまうことが有る。

代表性ヒューリスティックス:マグカップらしさ、野菜らしさなど、我々は、「〇〇らしさ」というイメージを使って、目の前のものがマグカップかどうか、野菜かどうか、判断する。

連言錯誤:自分の中の代表性ヒューリスティックスを使って物事を判断する。りんだ問題のように、集合として扱えば違う判断をする場合でも、この連言錯誤によって別の選択肢を見えなくしてしまう。

社会的ステレオタイプ代表性ヒューリスティックスを無意識に使って、XXX人は〇〇らしさがあるなど、偏見や差別につながる。

確証バイアス:自分が考えていることを裏付ける情報ばかりを探そうとする。第一印象で、だらしない人みたいだと思えば、だらしないところばかりを探すようになる。