子供の自己肯定感に影響を与える要因について調べて考えたこと

子供の自己肯定感に影響を与える要因について調査した研究があったため、簡単に紹介する。 今回は、子どもの自己肯定感に及ぼす影響要因に関する実証研究 : 京都子ども調査をもとに An Empirical Study on Influencing Factors of Self-affirmation of the Child : Based on the "Children's Survey in Kyoto”を参考にする。

性別、経済的要因、関係要因が影響を与えるとのことだが、もう少し細かく説明すると、女子と男子では影響を与える要因が違っていた。 女子は「親への信頼」がほとんどの影響を占めているのにたいして、男子の場合は「親への信頼、親の学業干渉、学校生活 享受感、学業満足度、友人の多さ」など、多くの要因が影響をしている。

詳細

自己肯定感の尺度

今回、自己肯定感自体を計測する指標としては、以下の項目で確認をしている。 解答選択肢 「当てはまる、やや当てはまる、どちらともいえない、あまり当てはまらない、当てはまらない」

  • 今の自分に満足している
  • 自分には、人に負けない得意分野がある
  • 自分でも人の役に立てることがあると思う
  • 自分は駄目な人間だと思うことがある
  • 自分の性格で嫌だと思うこと多い

要因として、影響が大きかった項目の確認内容を紹介する

解答選択肢 「当てはまる、やや当てはまる、どちらともいえない、あまり当てはまらない、当てはまらない」

【親への信頼】

  • 親を尊敬している
  • 親は自分の意見をよく理解してくれている
  • 親は自分を大事にしてくれていると思う
  • 親とよく話をする

【親の学業干渉】

  • 成績のことでよく怒られる
  • 親が口うるさくて嫌になることがある
  • 親は自分を必ず大学に行かせたいと思っている

【学校生活 享受感】

  • 学校に行きたくないと思うことがある(R)
  • 自分の居場所が無いと感じることがある(R)
  • 学校は楽しい

【学業満足度】

  • 成績はいいほうだ
  • 授業が難しくてついていけないことがある(R)

【友人の多さ】

  • 同じ学校の友人 「たくさんいる、まあまあいる、あまりいない、全くいない」
  • 違う学校の友人 「たくさんいる、まあまあいる、あまりいない、全くいない」

感想

男女によって大きく結果が異なるのは、想像していなかった。 自分の場合は男なので、多くの指標がある方しか実感はないので、そちらについて考えていきたい。

男の子からすると、自分の能力を示す値として計測しやすいのが学力だから、学業満足があるのだろう。 学校生活に関しては、学業成績によって入れる学校も変わってくるし文化も変わるため、こちらも学業成績の影響を受けるのではないかと思う。 振り返ってみると、自分の自己肯定感は成績にかなり影響を受けていた実感がある。

大学生くらいになると、他の能力の軸も自分の中で持てていたため、学業成績からの影響を受けづらかったのかもしれない。 さらに、大学だと成績順が分からないこともあり、成績の影響が小さくなったのかもしれない。

また、自分と周りに聞いた反応から、考えたのは成績がいい悪いというより、自分ができると思えるか、できないと思うか、である。 というのは、「勉強したのにできなかった」という感情と、「勉強してないから、できなかった」という感情では、 成績がどの程度自分の能力に帰属していると思うかが異なる。 なので、成績が良かった悪かったと思っているかどうか以上に、能力があると思っていたかどうかの方が影響があるのではないかと思った。

親との関係についても、当たり前かもしれないが、どのくらい関与してきたかの事実ではなく、 親から関与してきたことがどのくらい嫌だと感じるかを確認していて、事実ではなく解釈を確認している。 ということは、親として接するときには、子供のためになると思わせることで、成績へ関与しても自己肯定感を下げる要因にはなりづらくなるのではないか。

また、子供時代のことを思い出すと、親が大事にしてくれていると思うことはあるが、その当時に大事だと感じることは少ないんじゃないかとも感じる。足りない、うるさいなど、ネガティブな感情については認知しやすいが、大事にしてくれた、嬉しいことをしてくれたことに関しては、認知しづらい。 これに関して、親の立場から強化するのであれば、第三者から親の接し方にポジティブな評価をしてもらったり、するのではないか。 自分の人生を振り返って、親からしてもらったことを振り返る内観では、こういったありがたいことを改めて振り返ることで、ポジティブな評価を引き出すのではないだろうか。