責任範囲と感謝に対して考えてみる

自分が開発をして障害が発生していたので修正したことがある。 運良く上司と連絡が取れて、相談しながら対応することができた。 そのとき、自分は上司に対して感謝の気持ちを持ってお礼を言っていたし、上司は自分に対してお礼を言っていた。 ここから、お互いに相互に感謝していたと考える。

お互いに感謝する状態とは、理想的だがどんな条件で発生するのだろうか。

他にも、お互い感謝している状態でいうと、こんな場合が考えられる。夫婦、スポーツの選手と監督、発注者と受注者。 しかし、同じことをしているように見えても、感謝する人と感謝しない人がいることも経験からおかしくない。

そこで、今回は感謝を感じるメカニズムについて自分なりに仮説を考える。

開発において、上司と相互に感謝していたことに関して考える。そのときの上司には、トレードオフの判断を仰いだことと、上司から気持ちを考えた声かけを受けた。 自分は、開発をしていたのは自分であるから障害は自分の責任だと考えた。だから、自分が1人で対応するのが当たり前のところを相談したり、声かけをもらえたと感じた。自分の責任範囲でやらないといけないと思っていたことを手伝ってもらえた、と感じたのではないかと考えた。(感じたのではないか、といのは、自分で変につじつまを合わせるための感情を持ったのではないかとも考えて、念のため)

勝手な推測だが、上司からすると部下の責任範囲も対応がなければ、自分が対応しないといけないと考えると、部下の責任範囲は上司の責任範囲に含まれる。そこで、部下が対応することで、自分の責任範囲のことを手伝ってもらえたと感じるのではないだろうか。

責任範囲で考えたとき、部下の責任範囲は部下がやって当たり前だと考えている人からすると感謝は生まれないのではないか。

自分の責任範囲のことをやってくれたと思うと、感謝を感じるのだろうか。 であれば、責任範囲が重なると、協力してこなすと相互に感謝になるのだろうか。

ここでいう、責任範囲とは、何かに対する当たり前の担当範囲と考える。 当たり前と感じる心理的な要因や、当たり前の基準の変化についても調べてみたい。