僕が開発プロセスの支援を最適な仕事だと勘違いしていた理由

開発プロセスの支援が最適な仕事だと考えていたのは、少し前の話である。 しかし、最近キャリアの勉強を進めるうちに理解が深まったので紹介したい。

そして、過去にこんな記事を書いた。僕がプログラマーを最適な仕事だと勘違いしていた理由

過去の勘違いした理由まとめ

前回のプログラマーとしては、好きなこと、得意なことの一致について考えた結果、一致していない、一致度が足りないといった結論を出した。

にもかかわらず、どうして新たに最適な仕事だと勘違いしたのかを説明する。

過去には、いろいろなところが提供しているフレームワークである、「やりたいこと、できること、求められること」のフレームワークで考えてしまっていた。

欠けていたのは意味や価値

しかし今回は新たに元ネタというか、元になっている書籍にあった『自分のアンカーを探る3つの問い』を参考に考えるようにした。3つの問は、「自分は一体何が得意か」「自分はほんとうのところ何がやるたいのか」「何をやっている自分に意味や価値を感じられるのか」である。

比較すると分かるが、多くのところで「求められること」と考えられているものは、「自分に意味や価値を感じられるか」に該当する。

新たに「開発プロセスに対して意味や価値を感じられるか」というと、全く感じられないわけではない。 しかしながら、もっと意味や価値を感じられることは何か、と考えると、他のものが多く浮かぶわけである。 これに関しては、職種として個人の働きが対象になることもあるだろうし、会社や組織として成し遂げようとしていることが対象になることもあるだろう。

自分が助けたいと思っている人が助けられているのか、世の中に貢献できているのか、のような問になるだろう。

自分に当てはめるとどうなのか

「やりたいこと、できること、求められること」の3つの項目的に考えると、開発プロセスの支援は、自分にとっては「やりたいこと」「できること」「求められること」が一致していた。 おかげさまで、プログラミングよりも短い期間でスキルを身につけることができ、時間単価高く仕事をすることができていた。ビジネスという意味では費用対効果の高い投資だったと言えるだろう。

しかし、「意味や価値を感じること」かどうか考えてみると、どうだろうか。 周りの人が本当に心底楽しそうに開発プロセスの支援をやっていて、それに価値を感じていることを話しているのを聞いていると、自分はそこまで価値を感じているんだろうか、と思った。

自分が意義を感じたり、幸せになってほしいと思う人はどんな人だろうと考えた。

深く考えるまでもないが、自分は開発しているチームが無駄なく生産できるようになることよりも、 人が勉強したことが活かせるようになること、人が素晴らしいキャリアを描け、楽しく仕事をできるように近づいて行くことにこそ意義を感じる。

これは、だんだん満たされてきているからかもしれないが、自然にやっていることからも考えられるのでは無いだろか。満たされた状態で無意識にやっていることは、さらに上の段階に行こうとしている行動ではないだろうか。

ブログで、どんな記事を書こうとしているのか、何を好きでやっているのか、一番嬉しかったことは何なのか。

その結果、自分は、「人生がいい方向に変わりました」といってくれる人、そうなる人が増やしたいんだぁと、 個人の人生を良くすることにエネルギーを使いたいんだなぁと思う。

段階的に、満たしていくのが良いんだろうか。 一気に満たせないのではないか、とふと思い立った。