人に厳しくなるメカニズムと対策

何かの目的でつらいことを我慢することは、よくあることではなかろうか。 しかし、それが影響して他の人にも厳しくなっていないだろうか。同じ水準の我慢を他の人にも求めてないだろうか。 「〜〜すべき」という考え方は、自分も人も辛くすることが多いし、精神医学にはあまり良くないとされているようだ。

過去の自分は、人に対して厳しかったが最近はそうではなくなってきた要因に、 我慢してつらいことを頑張ることを減らしたことと、プロセス思考で人が悪いのではなくプロセスが悪いとかんがえられるようになったからだと思う。

今回は、我慢してつらいことを頑張ることを減らしたことについて考えたい。

事例

過去の自分

大学時代の自分は、良い会社に入ろうとしたり、会社に入った後に活躍できるようにとソフトウェア開発の技術を学んでいた。 大学時代は、主に研究の時間が占めていたためプライベートの時間を削って我慢してソフトウェア開発の勉強をしていた。 気持ちとしては、遊べるなら遊びたいが、ソフトウェア開発技術を身に着けないといけない、業界で優秀だと感じるエンジニアはみんなそうしていると考えていると自分に厳しく勉強をしていた。 インターンシップベンチャー企業で働いていたのもあり、その時に一緒に働いていた優秀なエンジニアの方のように、そのレベルに達せねばという水準も高くなっていた。

社会人になってみると、会社には何もソフトウェア開発技術の勉強していない人が沢山入っていたり、既存社員の人たちもあまり勉強しておらず実務経験年数だけ積んでいるが技術力が非常に低いという状況だった。 その上、技術力に関しては貢献をしているものの、会社からの評価に対して大きな影響をうけないこともあり、なおさら周りの人に厳しく考えてしまった。(貢献と評価が一致してないことは会社の制度的な問題にもかかわらず)

会社に入る、入って活躍するためには、技術力が必要だと考えていた自分からすると、許しがたいことだった。 そのため、半年ごとに行われる相互フィードバックでは、周りの人に技術力をもとめるようなことを書いていた。

自分が今まで行っている投資に対して否定されたように感じたから起きていた。

## 職場において

自分以外にも、職場においてもそういった人は多く見られる。 自分がこういった勉強を休みにやっているからと、後輩に半分強要したり、それをしないと冷たく対応したりする。 その勉強が業界で必要な物ならまだしも、必要ではないものも多いし、そういったものを自分が勉強したんだから、他の人にもと勉強させるのが多いのではないかと思う。

スポーツ選手

また、一流のスポーツ選手は、自分に厳しくつらいことも正面から向かいっていくといいった考え方をする人もいて、 そういった人は努力しない人に厳しいツイートをしていることを見ることもある。 自分は、プレイが好きな選手でもそういった人が気になるので、偏見ではないと思う。

カニズム

どうしてそういったことが起きるのか 自分の行動の正当化のために、自分と同じものを他の人にも求めるのではないか。 特に、自分が好きでやっているものよりも、我慢してやっていることに関しては他の人に対して求めやすい傾向がある。

「好きでやっているよりも我慢してやっている」というこれは、動機づけの理論の理論でいう動機づけに対する自律的な度合いが’低い状態や、回避的動機づけと呼ばれる。 動機づけの自律的な度合いが低いとは、「面白いからやろう」、「自分のためになるからやろう」ではなく、「怒られるからやろう」、「自分の価値に不安があるからやろう」などである。

どうしたら良いのか。

我慢をするから他の人に求めてしまう。なのであれば、我慢をしないで生活をできるようにすれば良い。

どういうことかというと楽しいことをやって、人のためになることを見つけられれば、我慢しないで自分の価値を上げたり、何かに貢献できるようになる。

今度、我慢しないで価値を高める記事を書きます。