最短ルートを考えるために捨てるものを考える

概要

選択と集中という言葉があるが、多くの人が自分のやっていることの無駄について向き合うことはないのではないかと思う。 現に、自分も目標を長期的な自分の欲望を満たすと考えても、自分もよく無駄なことをしている。 そこで、育成ゲームと卓球をきっかけに、より汎用的な選択と集中について考える。

本文

昔の戦闘育成ゲームを例に

昔の戦闘育成ゲームに、「モンスターファーム」というゲームがあった。 育てたモンスターを戦わせるゲームなのですが、小学生の頃にこのゲームをやっていたときには最短でコンピューターに勝つための定石がありました。 それが、モンスターの種類によらず攻撃力と命中力を極限まで上げることでした。 他にも、防御力、ヒットポイント、回避力、などいろいろなパラメーターもあったのですが、 バランス良く上げることが近道ではなかったです。
なぜなら、回避力や防御力に特化させて、相手に倒されるまでの時間がすごく長くなっていたとしても、相手を倒せないのでいずれ負けてしまうというものでした。

今から考えれば、回避力を極限まで上げれば、自分の攻撃は当たるけど、相手の攻撃を当たらない状態にして判定勝ちを目指すなどもできたのではないかと考えなくもないです。

だとしても、やはり倒してしまえば反撃されることもないので、早く決められて安全というところでしょうか。

卓球を例に

最近の卓球に置いても、育成ゲームと同じで攻撃をする人の方が最短で強くなるためには、効率が良い。 ということは、守備のためのカットなどの技術を覚えることは捨ててしまうのが効率が良いということである。 実際のところ、殆どの選手が守備のための技術を練習することはない。

試合の形式から使う頻度を考えても、卓球の試合はラリーが平均4回程度しか続かない(自信がない記憶)から、 多くラリーが続いた場合のことは考えず、1〜3球目の得点の方法だけ入念に練習することが効率が良いようである。

なので、カットマンという守備的な戦い方は、覚えることが多いし勝つための最短ルートを考えると選択されなくなってくる。

ここから無駄を無くす方法を考える

こうやって多くの人を育てる場合には、定石のようなものができてくるようである。

育成ゲームも卓球も、使用頻度と、遭遇したときの影響度から考えて、不要なものを切り捨てている。 卓球に関しては、1人の先生が多くの生徒を教える構図ができているし、ゲームに関してもプレイヤーは多くのキャラクターを育てる。 ここから、1人が何度も経験してくことは、捨てることへの選択が正しくなされているようである。

しかし、起業やキャリアにおいては、1人が何度も経験することは少なく、 多くの人が予防線をいくつも貼ることでコストがかさんでしまっているのではないだろうか。

意図的に「何を捨てるか」「XXを捨てるとどうなるか?」という枠組みを用いることで新たな発見につながるのではないかと考えている。 卓球や育成ゲームの観点から考えると、何を捨てるべきかは多くの人を育てた人が知っているとも考えられる。 あくまでも、育てる人の損得勘定に影響もされるので、利害関係の少ない人に教えてもらいたい。