上手な教え方の教科書を読んで気になったこところをピックアップ

インストラクショナルデザイン、教え方を科学的に説明した本を読んだので気になったところをメモ取りました。

行動分析学)教え手と学び手の強化は双方向に起きている。教えたことを学び手が実施することで、教え手の行動が強化される。 アドバイスを受けてできるようになることで、アドバイスを聞いて実施することが強化される。 結果がでなければ、双方に不信感だけが残るので、教えるときは最後まで教えるようにする。

人の短期記憶には3から7つ程度しか残らない。教え手は知っていることを全て一気に教えようとしてしまうが、何を教えないで情報の数を抑えるかが大切。通常は5つ程度。

何かを記憶するためにはその事柄自体を覚えるだけではなく、ほかの事柄と繋げてリンクを張ると効果的。ほかの事柄から、その記憶に行き着くことができるから。 名前を覚えるときに、その人の名前だけを何度も頭の中で考えるのではなく、趣味や出身地など、色々なものを関連して覚えておくとほかのリンクから辿って思い出しやすくなる。

学び手がすぐにできるようにならない理由

  • 一度間違えた知識を入れると修正が難しい
  • 違った場面で適応するのが難しい
  • 複数の要因が影響している
  • 今の自分の状況やすべきことの判断ができない
  • 半自動的になるためには熟達が必要

間違えるのは、それを処理するためのプログラムができてないか、間違えたことを学習してしまっている。どのように間違えているか観察してどんな勘違いがあるか、何の理解が足りていないのか確認する。

数学は好きだが作文が嫌いな学生が、数学は答えが一つに定まるが、作文はそんなことはないから、というのは複雑な問題の処理が苦手なのかもしれない。旅行やイベントの計画も、同様な問題である。

グループ学習をすることでメタ認知能力を高めることができる。 今考えていること、問題解決課程のどこにいるか、何がわかって何がわからないか理解する必要がある。

教えることには、運動技能、認知技能、態度がある。ゴミを拾う行動だと、運動技能と認知技能があっても、態度として拾おうと思わないと行動にならない。

認知的徒弟制の教え方は、モデリングコーチング、スキャッフォールディング、フェーディングモデリングは、手本を見せて学習者が概念化できるようにしてあげる。 コーチングは、問題解決をしている学習者にヒントやフィードバックを使って指導する。 スキャッフォールディングは、一通りできるようになったら、手助けの範囲を限定してサポート。 フェーディングは、独り立ちできるようになったら手を引く。

伝統的な徒弟制の問題点

  • 一つのことを一つの方法でしかできない
  • 知識の体系化ができない
  • 獲得したスキルを違う文脈で使えない

学校カリキュラムの問題点

  • 自分のやっていることを見失う
  • どこで使うか分からない
  • 抽象的な知識は使わないと忘れやすい

何かを教えるには、学習者を十分にやる気にさせないといけない。どの程度のやる気なのかも把握する。やる気は期待価値モデルで考えられる。 期待と価値は掛け算。 期待は、どれだけうまくできるか。価値はどれだけ価値を感じるか。 期待は、難しすぎても自信をなくすし、簡単すぎても学ぶ必要がないと感じる。

テストには三つあり、前提テスト、事前テスト、事後テストである。 前提テストは、コースを受講するための前提になる情報が足りているかどうか確認する。 事前テストは、コースを受講する必要があるか確認する。すでにできるから受講する必要はない。 事後テストは、コースを受講後に想定した能力が身についているか確認する。この点数が足りない場合は、学び手ではなく教え手の責任。

何も努力しない学び手がいると、それは教え手の責任。前提の知識が足りていないか、それを学ぶ動機付けができていない。

学び手と教え手の良い関係を気づくためには、教え手のバックグラウンドを説明する、どんな意図でコースを提供しているか説明する、どのような成果を獲得してほしいか説明する。

ニーズは、学び手、組織、領域専門家、社会などから発生する。コースを受講することで、ニーズが満たされることを示唆する必要がある。ニーズを思い出させ直結していることを適宜説明する。

フィードバックは、分野によって捉え方が違う。行動分析学では強化、認知心理学では情報、状況的学習論ではコミュニケーション。

やったときのフィードバックでは、結果だけではなく説明や解説を追加する。正解であっても説明することで、学習が促進される。

ARCS動機付け。 面白そうと思う注意、役に立ちそうと思う関連性、やればできそうだと思う自信、やってよかったと思う満足感。

できるけど嫌いな学び手は存在する。それは、無理やり勉強させられたりして、能力として身についたが、好きではなくなってしまう。

自己実現を考える時の目標設定のための要素出し

自己実現を支援する上で、どういった項目をあげるのが良いのか。 「○○な状態は避けたい」と「○○な状態になりたい」の回避的動機付けと接近的動機付けを考えるとイメージしやすい。 いくつかの観点を列挙したい。

避ける目標

おそらく失業などの生活ができなくなってしまう状態などは最も避けないといけないであろう。 しかし、その率を下げようとすればするほどリソースが必要となるので、場合によっては機会損失もする。 例えば、エンジニアとしても仕事ができる状態を作っておいて、研修講師としても仕事ができる状態を作っておいて、など複数の選択肢を持って置ければリスクは下がるが、それぞれを習熟する時間が必要になる。

はまってしまう落とし穴としては、回避的な動機付けをされているものを過剰に回避しようとしてしまう。 お金が足りないと困るが、お金がたくさんあると幸せになれるわけではないみたいな。

こちらの回避的な目標になるのは、これまでの経験上、自分に対して自信がない場合や、セーフティネット(家族が支えてくれる)がない状態が影響している。

近づきたい目標

回避したい目標の方が強力な動機付けになるが、長期的に回避的目標だと疲れてしまうのではないか。

表現としてなりたいと言っても、仕事がない状態を避けるための表現である場合がある。 お金持ちになりたいは、実は仕事をしたくないということかもしれない。

ゴールとプロセス

接近と回避の観点とは別に、ゴールとプロセスに関する目標も存在するのではないか。

無駄になるのが嫌だ、効率が悪いのが嫌だ、方向修正できないのが嫌だ、状況が悪くなるのが嫌だ、など。

「状況が悪くなるのが嫌だ」に関しては、既得権益などの考え方から、一時的に損をするので長期的に得をする選択が選びづらくなるのも含まれるだろう。

おまけ

もちろん目標なので、無駄だと感じないという考え方もできる。しかし、それは現状に満足するということではないだろうか。 幸福学的には、今に満足することが良いとされているように感じるが、それに近いものでもあるのではないか。

現状に満足する考え方の他にリフレーミング的な考え方をする場合もある。それは、よくない事象を次の経験の糧にする、転んでもタダでは起きないような状態である。 常に更新される自分の経験を使ってブラスな結果を生む考えもある。

科学的概念を身の回りの課題に適応する

結論

  • 何かの課題を解決しようとして理論を学んでも適応するのは難しい
  • なぜなら、現実の課題は複数の要因が絡まっていることが多い
  • 何かの課題を解決したいなら横断的に理論を知っている人や複数の分野の専門家に聞くのがよい

本文

入門的な科学的概念は、現実に適応するのは難しい。 それは、なぜか。 全ての事象を話すのは難しいため、簡略化した重要なところだけ説明するからである。

教育心理学概論にもある子どもがボールを蹴る話を考える。 いきなり、たくさんの事象を学ぶのは大変である。 ボールがなぜ遠くまで飛ばないのか、これくらいならこうだ。など、考えていたとしても ボールの速度が減衰する要因を全て説明すると難しすぎる。 理解しようとすると等速運動の話やメカニズムを説明して、その上摩擦の話まで理解しなくてくてはならなくなる。

理科の授業だと何年もかけて学んでいきやっと現実の問題を理解できるように、一つ一つ教える。 そして教えるときには、何かの事象に対して横切りではなく、似た理論を一緒に説明して理解を高めていく。 それは、なんの分野を学ぶときでもそうであろう。

理解を深めるために、ベースの知識がないとわからないこともあると、それも段階的に教える。 また、似た理論を一緒に学んでいくことで理論を抽象化して分野に対する理解を深められる。 などがあり、何に役に立つから学ぶ的な外発的な動機づけではなく、その分野自体が面白いという内発的な動機で学んでいく。

では、どうするのがよいのか。 何かの課題を解決したいなら横断的に理論を知っている人や複数の分野の専門家に聞くのがよい。 これは、学問の世界でも活用されている考え方である。 基礎的な学問は応用的な学問に多く活用されている。 情報工学にも、学習科学にも、認知科学の研究者は入っているし、認知工学も 神経科学や哲学や心理学などがあつまってできている。

人は解決策という枠組みを持っていないと課題を見つけられことすら多いので、 人にレビューしてもらうことで解決に近づくのが最も短期的な解決方法であろう。

長期的に解決しようとするのであれば、自分で多くの分野を横断的に勉強するのも1つの解決策である。

自分のブログ記事の分類

3年半ブログを継続してきたこともあり、GWにこれまでアップしたブログ記事を整理した。 目標設定と目標遂行や、目標は、やりたいこと、できること、求められることに分割した。求められることに関しては、市場価値や社内の評価などに分割している。 考察ブログの役に立ちそうなもの

目標設定

意義/目標設定の重要性

Will:やりたいこと

Can:できること

Must:求められること

労働(市場評価)

労働(会社内評価)

請負

商品

WillMust Fit

社会課題の解決

経営

研究者

目標遂行

その他

ツール類

教えてもらうことについての考察

人に厳しくなるメカニズムと対策

何かの目的でつらいことを我慢することは、よくあることではなかろうか。 しかし、それが影響して他の人にも厳しくなっていないだろうか。同じ水準の我慢を他の人にも求めてないだろうか。 「〜〜すべき」という考え方は、自分も人も辛くすることが多いし、精神医学にはあまり良くないとされているようだ。

過去の自分は、人に対して厳しかったが最近はそうではなくなってきた要因に、 我慢してつらいことを頑張ることを減らしたことと、プロセス思考で人が悪いのではなくプロセスが悪いとかんがえられるようになったからだと思う。

今回は、我慢してつらいことを頑張ることを減らしたことについて考えたい。

事例

過去の自分

大学時代の自分は、良い会社に入ろうとしたり、会社に入った後に活躍できるようにとソフトウェア開発の技術を学んでいた。 大学時代は、主に研究の時間が占めていたためプライベートの時間を削って我慢してソフトウェア開発の勉強をしていた。 気持ちとしては、遊べるなら遊びたいが、ソフトウェア開発技術を身に着けないといけない、業界で優秀だと感じるエンジニアはみんなそうしていると考えていると自分に厳しく勉強をしていた。 インターンシップベンチャー企業で働いていたのもあり、その時に一緒に働いていた優秀なエンジニアの方のように、そのレベルに達せねばという水準も高くなっていた。

社会人になってみると、会社には何もソフトウェア開発技術の勉強していない人が沢山入っていたり、既存社員の人たちもあまり勉強しておらず実務経験年数だけ積んでいるが技術力が非常に低いという状況だった。 その上、技術力に関しては貢献をしているものの、会社からの評価に対して大きな影響をうけないこともあり、なおさら周りの人に厳しく考えてしまった。(貢献と評価が一致してないことは会社の制度的な問題にもかかわらず)

会社に入る、入って活躍するためには、技術力が必要だと考えていた自分からすると、許しがたいことだった。 そのため、半年ごとに行われる相互フィードバックでは、周りの人に技術力をもとめるようなことを書いていた。

自分が今まで行っている投資に対して否定されたように感じたから起きていた。

## 職場において

自分以外にも、職場においてもそういった人は多く見られる。 自分がこういった勉強を休みにやっているからと、後輩に半分強要したり、それをしないと冷たく対応したりする。 その勉強が業界で必要な物ならまだしも、必要ではないものも多いし、そういったものを自分が勉強したんだから、他の人にもと勉強させるのが多いのではないかと思う。

スポーツ選手

また、一流のスポーツ選手は、自分に厳しくつらいことも正面から向かいっていくといいった考え方をする人もいて、 そういった人は努力しない人に厳しいツイートをしていることを見ることもある。 自分は、プレイが好きな選手でもそういった人が気になるので、偏見ではないと思う。

カニズム

どうしてそういったことが起きるのか 自分の行動の正当化のために、自分と同じものを他の人にも求めるのではないか。 特に、自分が好きでやっているものよりも、我慢してやっていることに関しては他の人に対して求めやすい傾向がある。

「好きでやっているよりも我慢してやっている」というこれは、動機づけの理論の理論でいう動機づけに対する自律的な度合いが’低い状態や、回避的動機づけと呼ばれる。 動機づけの自律的な度合いが低いとは、「面白いからやろう」、「自分のためになるからやろう」ではなく、「怒られるからやろう」、「自分の価値に不安があるからやろう」などである。

どうしたら良いのか。

我慢をするから他の人に求めてしまう。なのであれば、我慢をしないで生活をできるようにすれば良い。

どういうことかというと楽しいことをやって、人のためになることを見つけられれば、我慢しないで自分の価値を上げたり、何かに貢献できるようになる。

今度、我慢しないで価値を高める記事を書きます。

将棋の形勢判断の考え方をキャリアに対して適応して考えてみる思考実験

概要

将棋をやっていたら、形勢判断(大局観)ということで今の自分の状況をメタ認知することが強くなるために重要な能力だと言うことを知った。 メタ認知をすることが上達や、成功に繋がりやすいこと、キャリアに関しては自分の状況を客観的に考えようとする機会も少ないと考え この考え方をキャリアに対して適応できないか考えてみる。

将棋の形勢判断について

(将棋に関しての習熟度がまだ低いので、一部間違えているかもしれない。)

ボードゲームには多いかもしれないが、将棋では野球やサッカーのようなスコアがあるわけではないので、形勢判断能力ができないと勝っているのか負けているのかも全然わからない。 形勢判断は、たとえば自分の持っている駒、自分の王様の攻撃されにくさや、今持っている駒がどのくらい活用されているかなど。

対局中には、自分の戦略を攻めるか守るかの判断に使い、対局後には、自分の対局をふりかえりながら改善点を探すために使う。 形勢を正しく判断できると、自分の行動が良かったのか悪かったのかが判断できるので上達にも重要な要素になる。

しかし、将棋のゲームの仕組みや勝ち方などを知らないと、適切な形勢判断をすることができない。

自分の形勢判断能力の変化

自分は過去に駒をどれだけ持っているかによって優勢度合いを判断をしていた。 しかし、上級者になればなるほど、駒以外の囲いの強さや、それぞれの駒の働きなども考慮する。 後何手で負ける、勝てるなどの状態は、形勢判断の評価値に対して非常に大きい影響を与える

評価値を計算するための考慮事項や算出方法を出すアルゴリズムを評価関数とする。 自分の評価関数の質が低い間は、その時点で持っている扱える駒の数の大小がメインであった。 
これには、2つの問題があった。

1つは、今後どうなるのかの予測がなされてなかったのである。 その時点の駒を最大化するということは、投資的な判断ができない。 1損することで3得るようなことが行えず、中期的に得をするように考えている人と対峙すると、ほとんど損をしている状態であった。

1つは、手段と目的が正しくなく、観点が足りなかった。 形勢判断には、駒をどれだけ持っているかだけではなく、相手の王様をどれだけ攻めやすいか攻めづらいかなどがある。 将棋は駒を集めるゲームではなく、相手の王様が攻撃を防げなくなったら負けというルールだからである。 なので、駒というのは、相手の王様を攻撃するための道具でしかないのだが、その駒を集めることに目標にしてしまっていた。

キャリアに対する適応

キャリアでは、そもそも自分の幸せを軸とした評価値を考えたりすることは少ない。

そこで、自分なりの幸せを軸とした評価値を定めればよいのではないかと思う。評価値の考え方に関しては、過去のブログの記事も参考にして別途執筆したい。

あとは、将棋でハマった失敗パターンが、キャリアだとどんな状態になるか考えたい。

先の予想がされていない

先の予想がされてない場合、ゴールAを達するとAが得られて、Aを使ってBへ達するなどのことを考えずに、AとBを同時に目指してしまう。 同じスキルを持った人が多く排出されるのを考えずに、義務教育の科目に追加されたプログラミングを明確な目標がないのに勉強する。 子供を私立に入れたいのに、年収は重要じゃないと年収を上げることを考えない。

手段と目的が正しくなく→お金を稼ぐ、資格を取る

一般的な指標としての年収や会社からの評価などをそのまま評価値にしてしまい幸せとは違った方向に舵を切ってしまうことがある。 また、社会的市民活動のような会社のためになるが評価にならないことなども含まれて困ることもある。 幸せになるためのお金や資格なのに、それをゴールに考えてしまい局所最適して幸せから遠のいてしまうなど。

人は、人から良いと言われているものをよく感じて、無駄に同じ指標を目指して損をしてしまうこともある。

会社での結果評価の仕組みを請負いの観点から考察

会社では、行動評価、結果評価、印象評価などいろいろな仕組みで人事評価をしている。 中でも、結果評価に関しての意見で理不尽さを感じている人は多い。 会社の評価システムって、目標を難しいことのように見せかけて長い期間だったり低い要求でOKを貰えればいいゲームになっていてかしいって意見を見ることがあった。 評価される側としては、結果に対する公平性を求めているわけであるが、その視点も多くある。需給曲線で考える人や、効用価値で考える人など。

今回の目的は、評価に不満を持つ人が評価の仕組みを知りより評価される行動をとる選択肢を増やすことと、そこまでコストが高いなら評価を諦めようと考える選択肢を増やすことである。すなわち、やったのに評価されない不満を減らしたい。 そのため、その人事評価の仕組みが社員育成に対して適切かどうかに関しては言及しない。

社内での評価に限らず一般的な世の中の仕組みとして考えると、結果評価や目標設定と近い現象が起きているところとして労働の受注の仕組みの中でも請負が近い。

例えば、ショボいシステムでも高い金額で受注すれば利益は大きいし、素敵なシステムでも低い金額で受注すれば良いものを納品しても利益はすくない。

営業の能力が高ければ低い製造コストで高い売り上げを得られるし、営業能力が低ければ高い製造コストをかけても低い売り上げしか得られない。

がんばろうが頑張らなかろうが関係なく、相手の求めていたものに対してどうだったかが結果になる。それが請負い。

よいものを作っているが評価されない事が多い人は、評価者の理解を超えたよいものを作っている事が多い、しかし、評価者の理解が至らないと評価されない。なので、自分の作っているものに対して、誰にでもわかる価値の説明をする必要があるのではないか。 逆に言うと、自分の作るものに価値がなくても価値があるように思わせれば高い評価を得られる。 場合によっては後から詐欺だと思われるかもしれない。しかし、世の中にいる詐欺は中身の無いものをあるように見せかけてお金をだまし取るので高い営業力を持っているのではないか。