課題解決のための丸投げ解決方法「治療」という概念

概要

少し前に書いていたが、継続して卓球教室に通っている。 そこでは、先生が教えることなく、自分がスキルを身につけるということが何度か発生した。 この、先生が教えることなく課題が解決されれる概念を治療と呼ぶこととする。

この方法は教育とビジネスをつなぐことに対して多いに使えると思うため残しておく。

本文

治療が発生した場面の状況説明

case1

卓球の話なので、読み飛ばしてもらって大丈夫です。

卓球で、打つときに力を入れすぎているという課題が発生していた。その症状として、入る率が下がること、回転があまりかからないこと、体重が後ろにかかりすぎている、などが発生していた。 自分で気づいていたのは、入る率が低いという症状だけ。体重が後ろにかかりすぎていることに関しては、他の人からフィードバックをもらった。

そのため、入る率が低いので練習したいと先生に注文した。

そのあと何度か先生と打った後、先生は根本原因を力の入れすぎだと見極めた。そこで、自分に力を抜いて腕を振り下ろすだけでボールを打つことを指示。意味がわからなかったが、それを続けた。 当たり前だが、あまりボールがコートに入ることはなかったが、先生はそれでも良いという。

その後、元どおりボールを打つときに、力が入らないように気をつけるように言われたこと。打球時の音が良いときに、それが良いときの証拠だと自分でフィードバックを受けるための手がかりも教えてもらった。

そうして、練習を重ねた後に、友人と打ち合うとうちづらくなっているとの感想をもらえた。 マシンで打っていても失敗率が1/3くらいになった。

case2

今度は、打つときにフットワークできないという症状に気づいた。少しボールが違うところに帰ってくると動けないため返球ミスが増えるのである。

だから、今度は先生に対して、フットワークができないのでフットワークを含めた練習をしたいと伝えた。

そのあと、先生と数回打った後に、左足から動かないといけないのに、右足から動いていてフットワークできなくなっていることに気づいた。

そこで、右足は動かさずに左足だけ動かして打つ練習を指示した。左脚を後ろに下げて打つらしい。そして、フォアとバックへの切り返しで少し違う動きを混ぜる練習もした。フォアは右足から、バックは左足から動くので違う足を交互に動かす練習を入れて応用したようである。

これが終わってから再度ラリーをすると、びっくりするほど動くことができる。 マシンで打った感じ失敗率が1/2くらいになった。

状況からの考察

これは、生徒である自分は、何も理解してないが指示された非常に制限された(腕を振り下ろすだけででボールを打つこと、左足だけ動かしてボールを打つこと)単純な行動をなんども繰り返すことで問題から脱することができた。

これは、医者がやっている治療に近い行動である。相手に指示はするが、相手は特に理解していなくても病気が治る。 体を動かして治るという意味では、作業療法士柔道整復師の人がやっている治療に最も近い。

トッププレイヤーを目指すなら、こういった治療を受けるだけだとよくないかも知れない。しかし、かけられるリソースには限りがある場合はこういった丸投げをして指示通りに動けばスキルが身につくことは非常に合理的である。

卓球の場合、もっと丸投げする方法もあって、それは先生と試合形式でプレーして弱点を探してもらうということができる。 これは、行動をレビューしてもらうことで、課題箇所を見つけてもらえる。また、先生は、課題を見つけるために、苦手なことや原因を探すことに注力してプレーできるのでとても効率が良い。もっとも丸投げする方法である。

これは、治療といっても健康診断である。生徒本人も何もわからなくても、目標だけ伝えればボトルネックになっている部分を見つけてくれる。ある意味、自覚した症状は健康へのボトルネックであるかどうかは難しい。当たり前すぎて気づけないこともあるからである。極端な例だと、ずっと頭痛がしている人なら、頭痛は常にしていて当たり前と思ってしまうから。自分は乱視が入っているのだが、物の見え方は乱視が入ってる状態が当たり前すぎで自覚はできていなかった。乱視の症状について教えてもらえて、初めて症状を自覚することができた。

相手が何も考えなくても、知らなくてもできるようになる「治療」。 相手できるようになるための方法を教えてトレーニングする「訓練」よりも効果的な場合もあるし、相手にリソースを消費させない素晴らしさがある。

教育や学習支援について、治療は哲学的な問題もあり使われてないのではなかろうか。 もうすこし、適所で使うことで学びの効果を高める手段になればと思う。

発表資料に対して周りの人からアドバイスを受けて納得しづらい過去について考えたこと

概要

過去に勉強会の登壇時の内容に、自分の発表を役に立ちづらい形に改悪するアドバイスを何度も貰ったことがある。 「情報量が多すぎる」や、「プレゼンとはこうあるべきだ」などである。
 しかし、過去に自分が役に立ったと思う発表を考えると、 和波さん、馬田さん、安斎さん、などの情報が多いし体系化された発表である。 役に立ったと感じる基準は、自分の行動や思考に対して大きな変化をさせたものである。

そこで、「いい発表とはどんなものか」を考えるときに変に一般的な意見に引きづられないための学びを残す。

内容

自分が役に立った発表

過去に参加した勉強会のスタッフの方に、そのときの勉強会で役に立ったのはどの発表ですか?と聞かれました。 よく考えると有料の勉強会なのに、あまり印象に残ってない。ワークショップ温泉状態になってしまいました。

逆に考えて、勉強会で学んで役に立ったものを挙げると和波さん、馬田さん、安斎さん、などの情報が多いし体系化された発表である。 和波さんの、起業家としての思考とサラリーマンとしての思考の向き不向きのスライドも何度も人に紹介したことがあるし、 ビジネスモデル症候群の発表にあった学問の体系や、情報の拡散モデルのようなものもよく使っている。

また、馬田さんは海外の本の内容を多くまとめてくれている。 馬田さんの資料は、発表を聞いた後も何度も読み込んで自分の行動を変えることに役立てた。 スタートアップとして適切なアイデアと、その検証方法や、そのときに引っかかるバイアス、 営業やカスタマーサポートは、どんな人を採用して、同接するべきか、CEOの振る舞いなど。

安斎さんのワークショップの講義は、ワークショップ設計時に何度も参照しながら作っている。 複数の問いの分類と組み合わせ方については、有料の研修で見せていただいたがよく使う。

自分の場合は、何かをするときに参照するもの、人に見せながら説明するときに使えているものが、継続的に自分の糧となっている。

自分の発表時の対策

では、自分の発表を役に立ちづらい形に改悪するアドバイスに対してどう立ち向かうのか。

まずは、理想のズレを無くす。 そのときは、なぜそういった意見が出ているのか考えること、その人の理想とする形を聞いてみる。 その後、自分の理想について説明するものが何か、どんな状況を想定しているかを伝える。 そのうえで、まだ伝わりづらいことがあれば聞いてみる。

そして、他に自分と似た勉強会での学びの使い方をしている人に聞いてもらったり、 診てもらうことが重要ではないかと考える。

ファシリテーションで論点がずれる対策-OST(オープンスペーステクノロジー)編-

概要

OST(オープンスペーステクノロジー)をこれまで10回近くファシリテーションしてきた。 しかし、対話の方向性がよくずれることに悩まされている。むしろ、論点がずれないことの方が珍しいと感じている。

そこで、今回はこれまでに対応してきた工夫と、今後への提案をしたい。

内容

前提

ファシリテーションをしていると、他の人の意見をホワイトボードなり、付箋と模造紙なりにまとめながら、議論が進行して行く。

なぜ、論点のズレが発生するか

予測としては、みんな自分の話がしたい、自分より経験が足りてない人にアドバイスしたいという気持ちが強いのではないかと考えている。 しかし、論点にあった内容を話すのならいいが、そう都合よくテーマと合致した体験や考えを持っていないため、テーマに近い話をする。論点をずらしてしまう本人は、気づいてはいないようだが、そのようなことが起こっている。

対策1 可視化しない

論点がずれていると議論を可視化しないということを試して見た。ファシリテーターの行動に異変を感じるかと思ってみたが、これに関してはお構いなく話を続ける。

対策2 可視化してズレに気づいてもらう

繋いで行くことで、ズレに気がつきやすくなってくると思ったが、あまり効果はなかった。 論点をずらしてしまう人は、論点を気にしないのでズレていても自分のしたい話をできれば満足する。

今思えば、可視化の方法を工夫することで、気づいてもらえるかもしれない。

意見

また、この件に関しては、他の参加者に相談してみた。

OSTでは、元のテーマよりも発展した面白い話ができることもあるが、ファシリテーターが論点をテーマに戻してしまうために面白い話に発展せず終わってしまうことがあるそう。

実際に、自分もテーマと違う話をすることは、往往にしてある。しかし、それが発生するのは、テーマを持ってきた人の課題を深掘りして行くうちに、テーマとは違う話をする方がテーマを持ってきた人の課題を解けると考えたからである。

対策

論点をずらさせないために最初に付箋に意見を出してもらうのが良いのではないか(そこだけならテーマに対して意識を向けさせやすいのではないか)

これまでの経験上、テーマについて話したい人、テーマの根本課題について話したい人、テーマから派生した話題について話したい人が存在するのではないかと思う。 そこで、明確に分けられる場合は途中から分離しても良いのかもしれない。二つか三つのグループに分割して話したいことに対して話をする。

また、話し合いをするときに定期的に論点を確認したりするのが良いのではないかと思う。今後試して行く。

最短ルートを考えるために捨てるものを考える

概要

選択と集中という言葉があるが、多くの人が自分のやっていることの無駄について向き合うことはないのではないかと思う。 現に、自分も目標を長期的な自分の欲望を満たすと考えても、自分もよく無駄なことをしている。 そこで、育成ゲームと卓球をきっかけに、より汎用的な選択と集中について考える。

本文

昔の戦闘育成ゲームを例に

昔の戦闘育成ゲームに、「モンスターファーム」というゲームがあった。 育てたモンスターを戦わせるゲームなのですが、小学生の頃にこのゲームをやっていたときには最短でコンピューターに勝つための定石がありました。 それが、モンスターの種類によらず攻撃力と命中力を極限まで上げることでした。 他にも、防御力、ヒットポイント、回避力、などいろいろなパラメーターもあったのですが、 バランス良く上げることが近道ではなかったです。
なぜなら、回避力や防御力に特化させて、相手に倒されるまでの時間がすごく長くなっていたとしても、相手を倒せないのでいずれ負けてしまうというものでした。

今から考えれば、回避力を極限まで上げれば、自分の攻撃は当たるけど、相手の攻撃を当たらない状態にして判定勝ちを目指すなどもできたのではないかと考えなくもないです。

だとしても、やはり倒してしまえば反撃されることもないので、早く決められて安全というところでしょうか。

卓球を例に

最近の卓球に置いても、育成ゲームと同じで攻撃をする人の方が最短で強くなるためには、効率が良い。 ということは、守備のためのカットなどの技術を覚えることは捨ててしまうのが効率が良いということである。 実際のところ、殆どの選手が守備のための技術を練習することはない。

試合の形式から使う頻度を考えても、卓球の試合はラリーが平均4回程度しか続かない(自信がない記憶)から、 多くラリーが続いた場合のことは考えず、1〜3球目の得点の方法だけ入念に練習することが効率が良いようである。

なので、カットマンという守備的な戦い方は、覚えることが多いし勝つための最短ルートを考えると選択されなくなってくる。

ここから無駄を無くす方法を考える

こうやって多くの人を育てる場合には、定石のようなものができてくるようである。

育成ゲームも卓球も、使用頻度と、遭遇したときの影響度から考えて、不要なものを切り捨てている。 卓球に関しては、1人の先生が多くの生徒を教える構図ができているし、ゲームに関してもプレイヤーは多くのキャラクターを育てる。 ここから、1人が何度も経験してくことは、捨てることへの選択が正しくなされているようである。

しかし、起業やキャリアにおいては、1人が何度も経験することは少なく、 多くの人が予防線をいくつも貼ることでコストがかさんでしまっているのではないだろうか。

意図的に「何を捨てるか」「XXを捨てるとどうなるか?」という枠組みを用いることで新たな発見につながるのではないかと考えている。 卓球や育成ゲームの観点から考えると、何を捨てるべきかは多くの人を育てた人が知っているとも考えられる。 あくまでも、育てる人の損得勘定に影響もされるので、利害関係の少ない人に教えてもらいたい。

やりたいことを仕事にするために、やりたいことを見抜くプロセス主義な質問

概要

過去にも「やりたいこと」の言語化の失敗についても考えたが、やりたいことを仕事にすると言っても、 「やりたいこと」には2種類存在することに気がついた。 今回は、自分がやる必要があるかということを焦点に、結果が欲しいのかプロセスが欲しいのか問うことで 「やりたいこと」の勘違いを減らして、本当にやりたいことが得られるようにしたい。

結論から言うと、プロセスが好きな場合は自分でやってもいいし、結果が欲しい場合は人に任せればいいということである。

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やりたいことを仕事にするとやりたくなくなる原因の1つを感じた

概要

これまで、「やりたいことを仕事にする」タグを付けながら色々記事を書いてきました。 そして、やりたいことを言語化して記憶して、いつでもやりたいことを流暢に話せるようになってきていました。 しかし、やりたいことを仕事にしていると、いつのまにか少しずつ「やるべきこと」を考えていたり、 報酬が発生することで最初の面白さから離れてしまっていることもあると思います。 心理学的にも裏付けされた、やりたいことがやりたくなくなる現象だと思いました。

そこで、それに対する事象と対策について、残します。

内容

事象

自分の体験だと、「求められること」と「やりたいこと」のバランスをどうしようか相談した際に、 自分の気持ちや、行動するときの源泉を忘れて行動していることに気づかせてもらいました。 一度自分が言語化した「やりたいこと」はロジックになっていて、どんどん上に積み重なっている状態でした。

対策:やり始めたときの気持ちを思い出す

相談したときにも、言われたことですが、 「やりたくなったきっかけは何ですか?」という問に答えることに効果があると思いました。 打算的にやりたくなったことではなく、何か気持ちありきで始めたことは

スタートアップの起業家の方は、ビジョンをピッチのときに毎回発表していますが、 あれが有効ではないかと思います。 チームでも、その気持ちに共感する人に集まって欲しいですね。

対策:セルフ・アンダーマイニングを回避する

アンダーマイニング効果といって、もともと内発的動機があったにも関わらず、 外発的な動機づけをされることで、外発的な動機がなくなったときにやらなくなってくることである。

これは、人を助ければ助けるほど自分の利益になるという状態を避けることが大事かと考えました。 内発的動機があるものから、お金をもらうことを期待することで、アンダーマイニングが発生するので、 自分の活動と自分の報酬(所得)に対して、比例しない社内の仕組みを作るのが良いかと思いました。

メタ認知における方略が使えない状態について調べたこと

概要

自分の作っているワークショップが、メタ認知を促すものが多かった。 メタ認知を意図的に発生させられたほうが、より学習効果が上がるのではないかと考え、 メタ認知: 学習力を支える高次認知機能を精読した。

特に、なぜ人は学んだ手法が使えないかが、4章の2節方略使用に影響する要因にかかれていた。 ここを読んで学んだことを簡単にまとめる。

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